時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

年金保険の歴史から見えてくる年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)問題

 日本の年金制度の管理・運用面の問題の大きさを理解するために、Wikipedia(日本語版)に載る年金制度(年金制度は基本的には「年金保険」という生命保険の一種)の歴史に関する記事を本日は、紹介しておきます。

 

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生命保険の始まり

 

生命保険契約の形態は1400年代のイタリアで登場し、当初は奴隷運搬の海上保険の形態として登場した。

 

17世紀イギリスでは、セントポール寺院の牧師たちが葬式代をまかなうために、お互いにいくらかずつ出し合って積み立てていったといわれる(香典前払保険・香典前払組合)。ただし、これは年齢に関係なく同じ金額を支払ったため、高齢者は比較的少ない保険料で保険金を受取ることができた。しかし、次第に若者の不満を買ってしまったため、10年ほどでなくなったとされる。

 

この問題を解決するきっかけを作ったのが、「ハレー彗星」で有名な天文学者エドモンド・ハリーである。 彼は実際に調査して人間の寿命を統計化した生命表を作成した。それは年齢ごとに生存している人死亡した人の割合をまとめた統計データである。母集団が大きな統計は、「大数の法則」により、年齢ごとの亡くなる人数(死亡率)を導くのに便利であった。 そして生命表ができると、各年齢ごとに保険料を払う者の人数と亡くなる(保険金を受け取る)者の人数が推定できるようになった。 そこで死亡率に応じて保険料に差をつけることが考えられ、18世紀のイギリスで死亡率に基づいた保険料を集める制度ができた。

 

ただし、この生命表に基づく計算は、戦争や地震等の大規模災害による大量死にまで対応できるものではない。このため、現在の生命保険の多くは、戦争・災害に関する免責事項を設けている。

 

近代的生命保険の成立

 

生命保険では、統計に基づいて、年齢ごとの死亡率に応じた保険料を設定することで、保険会社が受け取る保険料と保険会社によって支払われる保険金が均衡する仕組みになっている。契約者が支払う保険料は、年齢ごとの死亡率に応じた保険料の合計を期間全体で平準化した金額となるのが一般的である。

 

現在の近代生命保険の発祥は、1762年にイギリス・ロンドンに設立されたエクイタブル生命(en:The Equitable Life Assurance Society)である。英国の数学者、ジェームズ・ドドソン(英語版)はエドモンド・ハリーの生命表を活用して確率に応じた適正な保険料による生命保険の理論を生み出し、エクイタブル生命の設立を企図した。

 

死亡率に応じて保険料を徴収すると年々保険料が上がっていくことになる。これを自然保険料という。ところが、同社は、その保険料を契約期間に応じてならす、「平準保険料」方式を採用した。この仕組みは契約期間の前半に将来の保険料を前払いし(この前払いした保険料がいわゆる責任準備金となる)、契約期間の後半に積み立てられた金額を保険料として取り崩すことになる。これが現在の生命保険の保険料計算の主流となっている。

 

本来、相互扶助の仕組みであった生命保険だが、平準保険料の採用により、前払いされた保険料が生命保険会社の多額の運用資産となった。そしていわゆる機関投資家として金融市場に大きな影響力を持つ礎となった。

 

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 そして、1907年頃から幾たびとなく繰り返されてきた世界恐慌は、こうした生命保険料が、株式・債権・先物市場などへと流れ込み、バブル的な株価・債権の高騰をもたらしたことに起因しております。そして、なぜ、急激な下落が起こったのかは、「バブルがはじけた」として説明されるのみであり、謎なのです。こうした生命保険会社の歴史を踏まえますと、「平準保険料」にもとづく制度を採用することによって成り立っている世界第一の生命保険会社、すなわち、機関投資家が、日本の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)であることの重要性が理解されえてくるのではないでしょうか。

 

(続く)