時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

二酸化炭素排出量ゼロ・核兵器ゼロ:二つのゼロがもたらす人類の危機

 政府は、地球温暖化を防ぐべく2050年までに二酸化炭素排出量ゼロを目指し、様々なアドバルーンを挙げて、産業界への圧力を強めているようです。しかしながら、以下に太陽光や風力発電の例をあげますように、現行の政策は、むしろ地球環境の破壊を加速させているようなのです。

 

 太陽光や風力へのエネルギーの依存は、むしろ、太陽光パネルや風車などの製造過程において排出される二酸化炭素の量を増やすことになります。日本でも、一億数千万の人口が使用する電力を太陽光発電風力発電によって賄おうとすれは、莫大な数の太陽光パネルや風車が必要とされます。さらに、太陽光パネルや風車は、永続的耐久性があるわけではなく、老朽化や自然災害によって頻繁な取り換えが必要となります。パネルや風車を製造する際に、二酸化炭素が排出されてしまうわけですので、太陽光や風力発電への依存度を高めることは、二酸化炭素の排出量を増やすことに直結するのです。しかも、2050年までに「二酸化炭素排出量ゼロ」ということになりますと、二酸化炭素をまったく排出しない太陽光パネル・風車生産設備を開発する必要がありますが、数年以内に、排出量がゼロレベルになるような生産設備の開発には、無理であります。

 

 そこで、環境基準の低く、また、「パリ協定」におきましても、厳しい目標が設定されていない発展途上国が、パネルや風車の製造を受注するということになってしまい、発展途上国におきまして、先進国が減らした二酸化炭素量以上の二酸化炭素が排出されてしまうこととなるのです。特に、中国共産党政権は、2050年ではなく、2060年を「二酸化炭素排出量ゼロ」の目標年としておりますので、そのタイムラグを利用して、パネルや風車を大量受注する可能性が高いとも言えましょう(いわゆる「環境特需」)。同じことは、電気自動車にも言うことができます。電気自動車とすることによって減らした二酸化炭素量以上の二酸化炭素が、電気自動車を製造する過程におきまして、排出される可能性が高く、それは、環境基準の低い国々に生産拠点が移ることを意味しているのですから。

 

 地球全体の環境問題を考えて、「二酸化炭素排出量ゼロ」という目標設定されたわけなのですが、それは、全世界の国々すべてに等しく課されたわけではありませんでした。中国などのいわば‘ぬけがけ’のできる国々の存在によって、結果は、地球環境のさらなる悪化という最悪の方向へと向かいつつあると言えるのです。

 

 同じことは、「核兵器ゼロ」の問題にも言うことができます。「核兵器ゼロ」は、すべての国々に等しく課されたものではなく、「核兵器ゼロ」にも、イランや北朝鮮などのようないわば‘抜けがき’のできる国々があります。この結果、「核兵器ゼロ」にもとづいて、多くの国々が核兵器を廃棄した場合、核兵器保有している国々が、‘核の脅し’を以って、世界を武力支配するという最悪の事態がもたらされる可能性が高いのです。

 

 このように考えますと、「二酸化炭素排出量ゼロ」と「核兵器ゼロ」という二つのスローガンは、人類の破滅という同じ方向を向いた二つのゼロであるのかもしれないのです。