時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

‘世界は一つ’という認識の歴史的形成過程(その5):ピタゴラスの‘世界は一つ’思想

 アレキサンダー大王は、ピタゴラス学派の唱える地動説Heliocentrismを信じ、地政学的思考geo-political thinkingを以って世界の面的な支配、すなわち領域的支配を目指して大遠征に出発したと推測できることは、昨日述べました。今日でも、「世界帝国」という名称が、アレキサンダー大王の大遠征に対して初めて用いられる歴史用語であることは、この点に起因しているのかもしれません。

 

 ところで、地球を中心として天空側が動いているという天動説geocentrismに対して、逆に地球側が動いているとする説は、「地動説」と称されておりますが、この用語は、英語の「Heliocentrism」の訳語です。「Helio」が太陽を意味することに示されますように、「Heliocentrism」は、日本語に訳しますと正しくは「太陽中心説」となりますので、天動説の対立語として、地球が公転・自転していることによって生じる一日や四季折々の天空の変化を表現する用語として、狭義においては「太陽中心説Heliocentrism」でもよいのでしょう。

 

 しかしながら、宇宙空間に浮かぶ球体(惑星)であるとする認識、すなわち、地球球体説the sphericity of the Earthが、太陽中心説の前提条件、もしくは、不可分の説としてあったことには、注目すべきです。

 

 数学的に、太陽中心説Heliocentrismが証明できるから、地球球体説the sphericity of the Earthも証明できたのか、その逆で、地球球体説the sphericity of the Earthが証明できるから太陽中心説Heliocentrismが証明できたのか、「卵が先か鶏が先か」の問題となりますが、地球球体説the sphericity of the Earthこそ、ピタゴラスの定義と並んでピタゴラスPythagoras of Samos(c. 570 – c. 495 BC)が発見した重要な数学的・科学的発見の一つなのです。

 

 そこで、ピタゴラスに注目してみますと、ピタゴラスフェニキア人との接点が見えてまいります。地球球体説the sphericity of the Earthは、海の民、交易の民であるフェニキア人が発見し、紀元前4世紀にそれをピタゴラス学派が学術的に証明した可能性が高いことは、10月19日付本ブログで述べました。ピタゴラスの生まれたサモス島は、エーゲ海の東部に位置し、古代において交易の一大中心地でした。金宝石細工師であったピタゴラスの父は、フェニキア人の都市国家ティルスの出身であるとする説があることに示唆されますように、ピタゴラスフェニキア人と近い関係にあったと考えられます。あるいはフェニキア人であったのかもしれません(古代にあってギリシャ人とフェニキア人の区別は曖昧。金宝石細工師はフェニキア人やユダヤ人に多い)。

 

 ピタゴラスは、エジプトのテーベで幾何学と輪廻説Metempsychosisを学んだことは確かなようであり、古代の伝記作家によりますと、フェニキア人、ケルト人、イベリア人からも、天文学ゾロアスター教、預言などについて多くを学んだとされています。

 

 そして、ピタゴラスとその弟子たちは、「ピタゴラス学派」と称されているアカデミックなグループ、すなわち、秘密結社のような学派形成するわけです。学派内部の知識を門外不出としたこのグループは、「万物は数字によって説明されえる」とし、神羅万象を純粋に学術的・数学的に探究してゆく側面と、輪廻説Metempsychosis、善悪二元論、預言prophecy、数霊術numerologyといった人類の謎や魂の謎といった哲学的・神秘的な問題を追及してゆく側面をあわせもった知性的なインテリ集団であったようです。

 

 今日におきましても、ピタゴラスの名を知らぬ者はいないように、‘世界は一つ’とうい認識を持つピタゴラス学派の知的・神秘活動は、人類史に影響を与え続けたはずであり、天動説下にあっても、その思想は脈々を受け継がれ、アレキサンダー大王以降の人類史上においても、しばしばその姿を現したのではないでしょうか。そして、『聖書』「黙示録The Revelation」の問題とも密接に繋がっているのではないでしょうか。