時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ロスチャイルド家の英国進出の第一歩

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。英国におけるロスチャイルド家の政財界への進出、さらには、王室との繋がりは、日本国の明治維新と何らかの関係があるのでしょうか。当時、”7つの海を支配した”と称された世界帝国、大英帝国のいわば、‘影’の部分として、”国際ゲットー連盟”の暗躍があったことが、その後の世界史や日本史の展開に大きな影響を与えたと推測することができるのです。
 
この点を明らかとするためには、英王室の姻戚関係にまずもって注目する必要があるようです。英王室は、歴代の后妃にドイツの諸公国の公女を迎える傾向にありました。この点が、まずもって、ロスチャイルド家による英国侵出の足掛かりとなったのではないか、と考えることができます。
 
英国に進出する前のロスチャイルド家が、ドイツのフランクフルトのゲットーにその拠点を置いていたことはよく知られており、”カーン”という旧家名からしますと、典型的なモンゴル系のネオ・ユダヤ人であったようです。本年1月25日付ブログでも指摘いたしましたように、ロスチャイルド家をはじめとする有力なユダヤ系の銀行家達は、王侯貴族にお金を貸し付けると共に、彼らをキリスト教倫理に反する非道徳的な退廃した世界(お金のかかる世界)へと誘い込むことで影響力を持ったと考えられます。
 
憶測の域は出ませんが、ロスチャイルド家の英国における一大躍進の契機となったナポレオン戦争中に国王であったジョージ3世(在位:1760~1800年)の王妃は、北ドイツのメケレンブルグ公国の出身のシャーロットです。このメケレンブルク公女シャーロットこそ、ロスチャイルド家が英王室にも影響を持つようになるその第一歩となったのかもしれません。
 
ジョージ3世は、シャーロットとの婚姻は、侍従武官グレアム大佐をドイツへ派遣し、王妃にふさわしい女性を見つけてくるよう命じたところに始まります。グレアム大佐が白羽の矢を立てた花嫁候補こそ、公女シャーロットなのです。その選定が不明瞭であることに加え、メケレンブルク公国の土地柄には、ユダヤ系のコネクションが見え隠れします。‘トロイの発見’でもよく知られるヘンリー・シュリーマンは、語学の天才であり、かつ、銀行家でもありましたが、氏もまたメケレンブルグの出身です。シュリーマン自身がユダヤ人であったかどうかは不明ですが、この地方は、ユダヤ人が多く居住したポーランドとも近く、‘ネオ・ユダヤ人’の影響力の強い地域であったと推測できるのです。

ロシアにおける貿易事業や銀行経営などのシュリーマンの事業の成功の裏には、ロスチャイルド家などのネオ・ユダヤ人組織の支援があったとも推測され、シャーロットが英王室に嫁いだことによって、英王室にもロスチャイルド家は何らかの影響を持つようになったかもしれないのです。そして、フランス革命からナポレオン戦争の時代にかけて起こった様々な事件の背景において、暗躍したとも考えられるのです。こうしたヨーロッパを舞台としたお話は、日本国の歴史とは無関係なように見えますが、案外、そうとも言えないように思えるのです。

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(続く)