時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

専制政治を好む独裁者の心理

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ネオ・ユダヤ人組織の思想が独裁志向の中国思想に近い理由として、以下のような共通の人間心理を指摘することができます。
 
最下層民であった朱元璋が皇帝の位にまで上り詰めたことは先に述べましたが、このような‘誰でも皇帝’という考え方は、中国大陸独自の思想でもあります。歴史的に見ますと、日本も含め多くの国々では、国王には神聖さが求められ、しばしば「神々の子孫である」や「聖人・聖者の子孫である」などといった理由が、その王位の正当性を支えていたりもします。
 
ところが、中国大陸では、秦の始皇帝が、実は呂不韋の子であったとされておりますように、また、前漢王朝の第一代皇帝の劉邦が一農民に過ぎなかったように、どのような出自の者でも、そして、如何にモラルに欠けていようとも、皇帝や国王になれるという思想があるのです。盗賊でも海賊でも、国家権力さえ掌握すれば、皇帝になれるというわけです。この思想におきまして、中国共産党政権や北朝鮮政権が、独裁体制である理由も説明しえるでしょう。
 
こうした中国思想にもとづく政治体制の共通の特徴として、徹底した官僚主義、すなわち、絶対王政とも称すべき官僚体制を挙げることができます。明の朝廷では、官僚たちは、毎朝、その家族に今生の別れの言葉を残して出仕したとされております。その理由は、朱元璋の命令ひとつで、命をも奪われたからです。おそらく、こうした為政者たちは、自らの出自に後ろめたさや疑問があったがゆえに、権力(命令による支配)のみが頼りであったのでしょう。そして、如何に、自らの権力を末端まで行き渡らせるのかに腐心し、上意下達のシステムをつくったと考えることができます。換言いたしますと、民主主義・自由主義の対極にある専制体制が、皇帝たちに心理的な安心感を与えていたことになります。
 
そして、このような思想や体制は、ネオ・ユダヤ組織の思想と体制とも近似しているように思えます。すなわち、ネオ・ユダヤ組織は、朱元璋と同様に、その出自に疑問のある人々の集まりであるがゆえに、明王朝のような体制を好む傾向にあると言うことができるのです。このことは、仮に、ネオ・ユダヤ組織が世界権力を掌握した場合、その体制は、ジョージ・オーウェルの『1984年』に描かれたような独裁・強権体制となることを示唆しております。本ブログにおきまして、ネオ・ユダヤ組織に対して批判を加えている理由の一つは、この点にあるのです。

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(続く)