時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「黒いユダヤ人」のモンゴルルート

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。ヴィクトリア女王の即位へと繋がることになる「黒いユダヤ人」勢力の台頭の問題と関連して、アジア・アフリカ起源の「黒いユダヤ人」がヨーロッパに登場するようになるルートの一つとして、昨日はイベリア半島経由のルートについて指摘いたしました。本日は、‘モンゴルルート’とでも称すべきルートについて扱います。
 
本年2月8日付本ブログで述べましたように、チンギス・ハンの子のバトゥは、1243年に東欧地域にキプチャク・ハン国を建国し、さらにポーランド、シレジア、スェーデンにも侵入し、ドイツ北部のメケレンブルグ領内(ヴィクトリアの系図上の祖母の出身地)にまで侵入していた可能性があります。
 
「黒いユダヤ人」と推測されるマスター・ロバートMasterRobert氏は、まさに、このバトゥの西征に従って、モンゴル側の全権代表としてヨーロッパ諸国との外交交渉?を行った人物です。このことから、「黒いユダヤ人(バクドッタ系黒いユダヤ人か)」とモンゴルとの関連が示唆されること、そして、モンゴルと独占的に親しい関係にあったヴェネチアには、当時大きなユダヤ人コミュニティーがあったことを考え合わせますと、モンゴル側において、モンゴル人、並びに、「黒いユダヤ人」とモンゴル人との混血からなる「モンゴル系黒いユダヤ人」とも称すべきグループが形成されていたと推測することができます。バトゥの西征は、こうした「モンゴル系黒いユダヤ人」の人々のヨーロッパへの進出という現象をもたらした可能性を指摘することができます。
 
「モンゴル系黒いユダヤ人」もイベリア半島の‘ユダヤ人’と同様に、ヨーロッパ中央部に進出いたしますと、キリスト教社会において一般市民としては居住することはできなかったはずですので、ヨーロッパの諸都市にあったゲットーに流入した可能性を指摘することができるのです。
 
憶測の域を出ませんが、ゲットーの居住民であり、出自不明であるロスチャイルド家の元の家名が、モンゴル系であることを示唆する「カーンKhan」であることは、ロスチャイルド家は、こうした「モンゴル系黒いユダヤ人」の子孫であるかもしれないのです。ヴィクトリア女王の実父が、ロスチャイルド家の人であるという説(ネイサン・ロスチャイルド説)の信憑性の高さは、英王室が、「イベリア系黒いユダヤ人」勢力の影響に加えて、「モンゴル系黒いユダヤ人」勢力の影響をも受けるようになった可能性を示しております。
 
ヨーロッパ大陸、そして、英国は、これまでキリスト教社会であると捉えられてまいりました。しかしながら、イベリアルートとモンゴルルートという南北2つのルートによって、秘かに、「黒いユダヤ人」勢力は、ヨーロッパ大陸、そして、英国に、その食指を伸ばすようになっていると言うことができるかもしれないのです。

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(続く)