時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イルミナティーによる日本の非文明化・動物化・家畜化計画は戦国時代に始まる

  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。イルミナティーの日本に対する非文明化・動物化・家畜化計画のスタート点は、16世紀、戦国時代のイエズス会(フランシスコ派)の謀略にその起源を求めることができるかもしれません。2017年5月末から6月初めにかけて、この問題について扱いました。長くはなりますが再掲載いたします。
 
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日本・日本人に対する評価をめぐるイエズス会の亀裂(2017年5月29日)
 
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。「イエズス会士」といいましても、発足からほどなくして、イエズス会士の間には、その思想の違いから亀裂が生じていたようです。このイエズス会内の亀裂の問題は、「裏イエズス会」の実体と背景を解明する上で、一助となるかもしれませんので、今日はイエズス会の亀裂問題について扱います。
 
その亀裂とは、イタリア人宣教師ヴァリヤーノと、当時の日本布教区の責任者であったフランシスコ・カブラル(Francisco Cabral 1529 - 1609416日)とが、日本人や日本文化に対する評価と布教方針をめぐって鋭く対立し、ついにヴァリヤーノがカブラルを解任、追放したことです。
 
カブラルは、スペイン系貴族の子としてアゾレス諸島サンミゲル島に生まれ、元来はインドに赴任した軍人でした。アゾレス諸島は、1427年に、ポルトガル人ディエゴ・デ・シルベスによって新たに発見された島であり、恐らく、カブラルは、現地住民との混血である場合もあった植民地生まれの「クレオール」であったのでしょう。
 
カブラルとヴァリニャーノは、日本や日本人に対する評価が180度異なっておりました。カブラルの前任者であったトーレスは、日本においては身なりや服装がきちんとしていない人物は軽蔑されることから、宣教師たちにあえて良い服を着ることを奨励しておりました。このことは、トーレスが、日本人はヨーロッパと同様に、その宗教制度において服装や礼儀を重視するとともに、ヨーロッパに近い社会を築いていると認識していたことを示しております。
 
ヴァリニャーノやオルガンティノも、日本に対してトーレスと同じ認識を持っており、オルガンティノは、その書簡の中で「われら(ヨーロッパ人)はたがいに賢明に見えるが、彼ら(日本人)と比較すると、はなはだ野蛮であると思う。(中略)私には全世界じゅうでこれほど天賦の才能をもつ国民はないと思われる」、「日本人は怒りを表すことを好まず、儀礼的な丁寧さを好み、贈り物や親切を受けた場合はそれと同等のものを返礼しなくてはならないと感じ、互いを褒め、相手を侮辱することを好まない」と述べております。この時代に来日したヨーロッパ人は、その外見も含めて日本人を評して、「ヨーロッパ人に似ている」と述べております。
 
16世紀当時の日本文化、すなわち、御所や戦国大名の居城、寺社仏閣、服飾文化、屏風や漆器などの工芸品に加え、儀式や礼儀作法などの無形文化が、今日におきまして世界的に高く評価されていることに示されますように、トーレス、ヴァリニャーノ、オルガンティノの日本国・日本人をして文明国・文明人とする認識は、確かに正しいと言えるでしょう。
 
ところが、カブラルは、日本人を黒人で低級な国民と呼び、その他、侮蔑的な表現を用い、しばしば日本人にむかい、「とどのつまり、おまえたちは日本人(ジャポンイス)だ」というのがつねであったそうです。「私は日本人ほど傲慢、貪欲、不安定で、偽装的な国民は見たことがない。…日本人は悪徳に耽っており、かつまた、そのように育てられている」とも述べてもおります。また、カブラルは、「日本においてイエズス会員が絹の着物を着ているのは清貧の精神に反している」と非難したのですが、このことは、日本を非文明国と見なしている、もしくは、日本を非文明国化しようとしていたことを示しております。カブラルにとりまして、日本・日本人は、非文明世界に入るべき存在ということになります。
 
イエズス会士の間で、日本・日本人に対する評価は、180度異なっており、この問題は、イエズス会内のなかに、それぞれ何らかの勢力を背景とした2つのグループがあった可能性を示唆しております。
 
(続く)
 
ザビエル派の「裏イエズス会」と反ザビエル派との対立(2017年5月30日)
 
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。フランシスコ・カブラルとヴァリニャーノやオルガンティノとの対立につきまして、今日も扱ってまいります。
 
カブラルは、1570年(永禄13年)6月に天草志岐に到着しています。オルガンティノも同行していましたが、その前年に、手違いからイエズス会インド管区長代理の権限がカブラルとオルガンティノに重複してしまっており、これが原因で両者は既に諍いを起こしていました。この重複問題からも、イエズス会内には亀裂があったことが示唆されてきますが、両者の日本や日本人に対する評価や布教方針が180度違っており、結局、カブラルがヴァリニャーノによって解任、追放されたことは、昨日指摘いたしました。
 
カブラルの経歴や日本での足跡を辿ってみますと、ザビエルとの接点が見えてまいります。第一に、カブラルは、インドで軍人として活動しておりますが、5月3日付本ブログにて述べましたように、インドのゴアのボン・ジーザス聖堂The Basilica of Bom Jesusには右腕下膊が安置されており、インドもまたザビエルがその組織づくりに力を入れていた地域です。
 
第二は、573年(天正元年)に、カブラルが山口を訪問していることです。山口はトーレス1556年(弘治2年)に訪れてから誰も宣教師が訪れていなかった地域であったのですが、カブラルは信徒の大歓迎を受けております。このことは、ザビエルが山口につくった強固な「裏イエズス会」とも称すべき国際組織は、宣教師たちが山口を去っても機能していたことを示しております。
 
第三に、その後、カブラルは、九州に戻って大友宗麟に洗礼を授けますが、宗麟にザビエルへの追憶として「フランシスコ」の洗礼名を選ばせています。
 
これらの点から、カブラルが、ザビエル派であり「裏イエズス会」と近い関係にあったことを示していると言えるでしょう。
 
そして、カブラルと鋭く対立したヴァリニャーノには、反ザビエル派であるという特徴があるようです。イタリアのキエーティで名門貴族の家に生まれたヴァリニャーノは、パドヴァ大学で神学を学ぶと1566年にイエズス会に入会します。入会後に哲学を深めるため、ローマ学院で学び、この時の学友が、後のイエズス会総長クラウディオ・アクアヴィーヴァ (Claudio Acquaviva1581-1615) です。5月24日付本ブログにて述べましたように、クラウディオ・アクアヴィーヴァこそ、その死から50年後にザビエルの墓を暴き、恐らくは窃盗の刑罰として、右腕を切断したイエズス会総長なのです。
 
(続く)
 
 
「裏イエズス会」の悪巧み(2017年5月31日)
 
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。フランシスコ・カブラルが、ザビエル派の「裏イエズス会」と近い関係にあったことがわかってまいりました。このことは、カブラルの日本での布教方針や活動内容を調査・分析することを通して、「裏イエズス会」の世界戦略が見えてくる可能性を示しております。
 
カブラルが来日し、カブラルの方針によって布教活動が行われるようになりますと、日本人信徒と宣教師たちの間には溝ができたそうです。カブラルは日本語を不可解な言語として、宣教師たちに習得させようとせず、日本人に対してもラテン語ポルトガル語も習得させようとしませんでした。それは、「日本人がそれらを理解し宣教師たちが話している内容がわかるようになると宣教師を尊敬しなくなる」、という理由からであったそうです。
 
このことは、カブラルたちが、‘聞かれては困ること’に、携わっていたことを示唆しております。宣教師たちの会話と言いましたならば、通常、キリスト教やその教義についての宗教的・神学的な会話が思い浮かびます。このような会話でしたならば、恐らく、日本人にその会話の内容を理解されても宣教師に対する尊敬心を失わせるような問題は発生しなかったはずです。にもかかわらず、「日本人がそれらを理解し宣教師たちが話している内容がわかるようになると宣教師を尊敬しなくなる」とカブラルが考えたことは、宣教師たちのポルトガル語の会話の内容が、武器密輸や奴隷貿易など、「裏イエズス会」が秘密裏に行っている‘仕事’についての会話であったからであると推測することができます。このような会話の内容を日本人の一般信徒たちには、知らせないようにするために、日本人には、ラテン語ポルトガル語も習得させなかった、と考えることができるのです。すなわち、‘悪巧み’の内容を聞かれないようにするためであったと考えることができるのです。
 
(続く)
 
イエズス会の‘さくら作戦’(2017年6月1日)
 
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。フランシスコ・カブラルが日本人に対してラテン語ポルトガル語を習得させようとしなかった真の理由として、昨日は、カブラルたちが、「裏イエズス会」とも称すべきザビエル派であって、奴隷貿易や武器密輸、すなわち、‘悪巧み’と関わっていることを、日本人に知られないようにするためであった点を指摘いたしました。この点に関する「日本人がそれらを理解し宣教師たちが話している内容がわかるようになると宣教師を尊敬しなくなる」というカブラルの表向きの理由は、ザビエル派が行っていたもう一つの策略の存在を示唆するものとなっている、と言うことができます。
 
ザビエルが布教に訪れると、そこの信者たちがザビエルを神のように崇めて、扱ったため、この様子を見ていた人々は、ザビエルをさぞや‘尊い人’であろうと認識するようになり、多くの人々が入信したと言います。このことは、シェークスピアの『リチャードⅢ世』におけるリチャードⅢ世の‘さくら作戦’を想起させます。悪逆非道な行為を繰り返し、品性や道徳心に欠けるリチャードⅢ世は、当然国民の間で不人気であり、王位は不安定となるわけですが、自らが不人気であることを誤魔化しその地位を安泰とするために、腹心のグレー卿に、所謂‘さくら部隊’をつくらせます。リチャードⅢ世は、このさくら部隊の部員たちに、自らをあたかも尊敬に値する‘偉い人’であるかのごとくに、‘恭しく’扱わせることで、このさくら部隊の演技を見ていた他の国民に、‘リチャードⅢ世は偉い人である’という錯覚を生じさせるように仕向けたのです。
 
『裸の王様』のお話のような詐欺なのですが、このような詐欺的策略は、効果があるがゆえに古来より使われていたようであり、ザビエルたちも、恐らく、この方法をつかったと推測することができるのです。すなわち、カブラルたちは、尊敬されている間は何をしていても疑われない、真の姿が見えないという点から、‘さくら作戦’を行っていたと推測することができるのです。
 
そして、今日でも、‘さくら部隊’は、存在しているのではないでしょうか。
 
(続く)
 
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 絵巻、屏風、蒔絵などの工芸品、十二単といった服飾、寝殿造りなどの伝統的建築様式や作庭様式、和歌などの古典文学、そして、優雅な礼儀作法や所作、さらには、戦国時代にあっても端正で整然とした街並みなどが示しますように、日本文化をめぐりましては、ヴァリニャーノなどのイエズス会の反フランシスコ派の評価が正しいことは、確かなことです。しかしながら、イエズス会のフランシスコ派は、それゆえにこそ日本に嫉妬し、16世紀以降、実に400年以上にわたり、日本、並びに、日本文化を破壊し、日本人を非文明化、動物化、家畜化させることに、執念を燃やし続けてきていたと言うことができるのです。

 
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(続く)