時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「日本不敗神話」の前提条件は崩れていたのでは

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。第二次世界大戦の真相につきましては、まだまだ多くの研究と調査が必要とされておりますが、真珠湾攻撃ガダルカナル島奪還作戦、インパール作戦などなど、日本国を非劇的状況に追い込んだ無謀な作戦、すなわち、当初から明らかに失敗の見えている作戦を遂行させる“言い訳”となった「日本国不敗神話」につきまして、考えてみることにしましょう。理性的・論理的に考えて無理のあるこうした作戦を実行させるために、軍部が「日本国不敗神話」を持ち出して、人々に作戦は成功すると信じ込ませることに成功したことが、日本国を悲劇的状況に追い込む一因となったと推測することができるからです。
 
「日本国は他国から侵略されたことのない国であり、それは、天皇が神祇祭祀の長として日本を護っておられるからである」とする考えが特に、戦前・戦中に広がっておりました。日本史を概観してみますと、確かに、古来より日本国には天照大神の子孫であると考えられてきた歴代天皇があり、モンゴル帝国による元寇の際も、朝廷にて敵国降伏が祈祷され、神風が吹いて元軍を壊滅させたことから、侵略を受けたことがない国という点と天皇という存在が結びつけられることになり、「日本不敗神話」が長く信じられるようになったと考えることができます。
 
しかしながら、不敗状態にあった時代における天皇の位置づけが、明治維新以降と以前では、まったく異なる点には注目せねばなりません。8世紀頃からの歴代天皇のほぼ全ての即位時の年齢が、0歳から10歳までの間であることに示されますように、天皇は幼児であるということが一般的でありました。祇園祭りの御稚児さんのように、天皇は、天照大神の幼い孫として位置付けられる瓊瓊杵尊の御霊が憑依した存在とされており、神祇祭祀を専らとする存在であったのです。逆に言いますと、天皇は、軍事に携わってはいけない”天の世界の純粋なる魂”ということになります。
 
従いまして、聖徳太子葛城皇子(後の天智天皇)に代表される皇太子の万機摂政、摂関政治院政、幕政といったように、政治や軍事は天皇以外の人々によって担われておりました。そして、こうした天皇以外の専門的な人々が、政治や軍事に携わる時代において、「日本不敗神話」と称されるような侵略を受けない時代が続いていたと言うことができるでしょう。
 
従いまして、イルミナティーが、日本国の国権を掌握するために、「チーム明治天皇」を創り出し、“天皇”を日本国の統治者、軍隊の統帥者として位置付けたことには、大きな問題があると言うことができます。神祇祭祀のみに携わることで天皇は日本を護ってきたのですから、天皇が政治や軍事に携わることは、「日本不敗神話」の条件を壊したことになります。明治維新による血統上の断絶問題も含めまして、明治以降、そもそも「日本不敗神話」は通用していなかったと考えることができるのです。
 
 このように考えますと、「日本不敗神話」という既にその前提条件を失っている“過去の実績”を以って、無謀な軍事計画が実施されていたということになりますので、結果は、火を見るより明らかであったのではないでしょうか。

 
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(続く)