時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ノートルダム大聖堂の被災部分はイルミナティー部分の問題

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。ノートルダム大聖堂の火災被害の大部分は、屋根の尖塔、屋根、そして、尖塔基部の周囲の福音史家と十二使徒の彫像など19世紀の改修時のものであり、恐らくは、イルミナティーの思想にもとづいて新たに聖堂に加えられた部分である点につきましては、昨日、指摘いたしました。
 
 被災した部分が、イルミナティーの思想に基づくとする根拠につきましては、昨日、述べた①以前よりも10メートルほど尖塔を高くしてしまいましたので、尖塔は、あたかも、イスラムミモレット(尖塔)のような形状である点、②福音史家と十二使徒の彫像のモデルがヴィオレ・ル・デュクEugène Emmanuel Viollet-le-Duc自身や工事に携わったスタッフたちなどであった点の他にも、以下の点を指摘することができます。
 
 ③19世紀における大聖堂の復興事業の契機となったヴィクトル・ユーゴ―の『ノートルダムのせむし男Notre-Dame de Paris』の主人公の女性はジプシーであり、3人の男性から思いを寄せられるジプシー女性には、「黒マリア」が暗喩されていると推測することができる。
 ④物語のラストは、塔の上にあった「せむし男」が、捨て子であった「せむし男」を拾って育てた寺院の司祭を塔の上から突き落とすというものであり、「せむし男」のみが、生き残るというストーリーは、ちょうどその頃、英国では、『ジェーン・エア』や『嵐が丘』が一世を風靡したことを想起させます。2017年4月15日付本ブログにて述べましたように、ロスチャイルド家をめぐって、その元の家名の「カーンKhan」によって示されますように、出自不明のモンゴル系である可能性が高いこと、ネイサン・ロスチャイルドに代表されますように、ルックスが悪いことを踏まえますと、ロスチャイルド家が、ヴィクトリア女王の即位によって政治経済の両面において英国の権力をちょうど掌握しようとしていた時期に、シャーロット・ブロンテCharlotte Brontë(1816~55年)とエミリー・ブロンテEmilyBrontë(1818~48年)のブロンテ姉妹が現れ、その作品が、もてはやされるようになったのです。
 
シャーロットは、醜男を準主人公とした『ジェーン・エア』を著し、主人公のジェーンが、最終的に醜男を伴侶に選ぶというエンディングで、英国におきまして‘醜男ブーム’を起こさせます。エミリーは、出自不明のヒース・クリフを主人公とした『嵐が丘』を著し、出自不明の人物が、名家名門の女性のハートを射止めるに留まらず、社会的、経済的に成功してゆくという筋書きで、悲劇ながらも人気を博しました。
 
ブロンテ姉妹の作品は不朽の名作ともされ、文学作品としては、面白いのですが、仮に、ブロンテ姉妹が、ロスチャイルド家の御用作家でありましたら、ここにも、ロスチャイルド家の策略が潜んでいたのかもしれません。すなわち、今日でもマスコミを利用した大衆操作が行われているのと同様に、ヴィクトリア時代におきましても、ロスチャイルド家は、ロスチャイルド家への人々の反発を抑えるために、これらの作品を世に広めたとも推測することができるのです。このように考えますと、ヴィクトル・ユーゴもまたロスチャイルド家の御用作家であり、屋根の尖塔は、「せむし男」を象徴しているのかもしれないのです(尖塔の頂上からの世界支配)。
 
 このような4点から、当初は、白マリア信仰の中心地であったノートルダム大聖堂には、19世紀になって、イルミナティーによって新たに「黒マリア信仰」が加えられたと考えられ、今般の火災によって被災した部分は、「黒マリア信仰」の部分であると推測することができるのです。修復作業に携わった建築家のヴィオViollet自身が、イルミナティーのメンバーであったのかもしれません。
 
屋根の尖塔をめぐりましては、国際コンペティションにかけるとのことですが、このように考えますと、創建当時の姿に戻すことが望ましいのではないでしょうか。仏マクロン大統領はEmmanuel Jean-Michel Frédéric Macron19771221 -
)は、福音史家と十二使徒の彫像から、早速、修復作業を始めたとのことですが、そのモデルが19世紀の人であるヴィオレ自身や工事に携わったスタッフたちなどであった点を踏まえますと、修復された彫像群のなかには、あるいはマクロン大統領自身の姿も見ることができるかもしれません(ゴーン容疑者の姿も?)。

 
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(続く)