「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:裁判の起源
本ブログにて、以前に指摘いたしましたように、アダムとイヴが、「善悪の判断を知る木the tree of knowledge of good and evil」の果実を食したことにより、人類は、善悪の判断ができるようになります。すると、唯一絶対神は、「人類は、我々の一員として、善悪を知るようになったAnd the Load said, Behold, the man is become as one of us, to know goodand evil」という言葉を発します。唯一絶対神は、メンタリティーとして、人類は、唯一絶対神に近づいた、と述べているのです。
第一段階におきまして、人類の容貌が、神に近づくという進化が起こり、第二段階におきまして、人類のメンタリティーが神に近くという進化が起こったことになります。このことが、この地球上には、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」が併存していることを説明していることになります。第二段階を経ることで、善悪の判断ができる「神様志向型人類god(goddess)-minded human」となった人類と、人類の容貌を持ちながらも、第一段階で進化が止まった人々が、地球上には存在しており、善悪を判断することのできない人々が、「野獣型人類 beast human」なのです。
述べてまいりましたことから、‘善悪の判断’を、その基本に据えている裁判制度は、第二段階を経て、善悪の判断することができるようになった「神様志向型人類god(goddess)-minded human」の間においてのみ、行うことのできる制度である、と言うことができます。しかしながら、地球上には、「神様志向型人類god(goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」が併存しているわけですので、裁判制度は、当然、数々の問題を抱えていることになります。
次回では、国際司法裁判も含めまして、「神様志向型人類god(goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」の併存によって生じている裁判制度の問題につきまして、扱ってゆくことといたします。