時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

バグダットの「モンゴル系黒いユダヤ人」

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。「モンゴル系黒いユダヤ人」のヨーロッパにおける勢力拡大の理由と背景につきましては、13世紀以降、イル汗国Kahnate of Ilが長くバグダットを支配していたことに注目する必要があるかもしれません。
 
西暦70年にディアスポラが起こり、ヘブライ12(13)支族は、世界各地に離散してゆくわけですが、なかでもバグダットには、大きなユダヤ人居住地域がありました。ユダヤ教の経典である『旧約聖書The old Testament』の解釈書である『タルムードTarmud』の多くもバグダットにてつくられており、解釈の如何から、様々な‘ユダヤ思想’も登場するようになっております。そして、古来の奴隷貿易において奴隷のおもな輸出先であったこの地域では、「黒いユダヤ人」が多く発生してもおります。
 
そして、モンゴル側に仕えた謎の‘英国人’外交官・マスター・ロバート氏Master Robertが、「黒いユダヤ人」であり、バグダット経由でモンゴルに至っていることを踏まえますと、特に、バグダットの‘黒いユダヤ人社会’とチンギス・ハンとの間には、密接な関連があったと考えることができます。
 
モンゴルの支配の特徴として、被征服地の‘民族改造’をともなう点を指摘することができます。韓国・朝鮮半島の人々がモンゴル系である理由は、モンゴルの傀儡王朝であった高麗と李朝時代のモンゴル人との混血政策にあると言います。この点を踏まえますと、特に、モンゴルとの結びつきの強かったバグダットの「黒いユダヤ人」たちが、「モンゴル系黒いユダヤ人」となったという仮説は成り立つ可能性があるのです。
 
本年3月30日付本ブログにて、モンゴルの一部族長であったテムジンが、チンギス・ハンを称するようになったのは1206年で、元朝を開くフビライ・ハンの即位は1260年であり、おそらく、ユダヤ人ネットワークを通じて超古代思想についての知識を持つようになったチンギス・ハンは、敢えて1206年にハンを称し、自らの即位の日を「最後の審判の日」と位置付け、‘全世界の支配権は、神によって預言されていた’と嘯いた点を指摘いたしました。
 
このようなモンゴルのユダヤ思想の悪用は、バグダットの「黒いユダヤ人」の指南のもとに行われており、その思想は、「モンゴル系黒いユダヤ人」に引き継がれている可能性があると言えるでしょう。

 よろしけば、クリックをお願い申し上げます。

(続く)