鄭成功の背景にはセファルディ系ユダヤ人があった?
今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。1851年の西郷隆盛の訪台問題の解明の一環として、鄭成功と「黒いユダヤ人」の国際組織との関連について本日は考えてみましょう。
鄭成功(1624~1662年)が、日本人女性(平戸藩士の娘・田川まつ)と中国人の貿易商、海賊、官員であった鄭芝龍Zheng Zhī-lóng、Nicholas Iquan(1604年- 1661年)との間に長崎で出生し、台湾島に国家(鄭氏政権)を建設した背後には、イエズス会を中心とした「黒いユダヤ人」の国際組織がある点は昨日指摘いたしました。この点は、鄭氏一族の以下の経歴からも補うことができます。
1)鄭一族の出身地である泉州(ザイトン、イタリア語:Zaiton、閩南語:刺桐)は、イブン・バットゥータやマルコ・ポーロがこの都市の繁栄を記録に残しており、海上交易の中心地であった。この点を踏まえると、貿易商であった芝龍は、この地に居留していた「黒いユダヤ人」、もしくは、その子孫であった可能性がある。
2)Wikipedia(英語版)によると、芝龍の父の鄭紹祖Zheng Shaozu は、明朝泉州政府の中級財務官吏であった。イルミナティーを構成する3勢力の一つであるバグダットのサスーン家もオスマン・トルコの財務官であった。「黒いユダヤ人」は、移住先の王朝に仕え財務官になる傾向にある。この点を踏まえると、紹祖は、イベリア半島から泉州に移住してきていた「黒いユダヤ人」であった可能性がある。
3)芝龍がスペインギターを弾くことができた点は、イベリア半島からバグダットに移住してきたセファルディ系ユダヤ人the Sephardic Jewsであるサスーン家と同様に、鄭一族もセファルディ系ユダヤ人であった可能性を示唆している。
4)芝龍は、マカオにてカトリックの洗礼を受けてNicholas という洗礼名を授けられている。マカオにはイエズス会の拠点があった点を踏まえると、芝龍はイエズス会と極めて近い関係にあり、「黒いユダヤ人」の国際組織のために働く隠れイエズス会士であった可能性もある。
と同様に、芝龍は閩南語、南京官話、日本語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語などの複数の言語を話すことができた。このように複数の言語の習得能力は、「黒いユダヤ人」の特徴である点を踏まえると、芝龍は、「黒いユダヤ人」であったと推測できる。
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(続く)