時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

西暦2017年も「最後の審判の日」の有力候補の年代

 本日正月2日は松の内とはいえ、激動が予測される2017年を迎え、早々に本年最初のブログ記事を掲載することと致しました。本日の記事は、古代・中世史研究家の倉西裕子が書かせていただきます。昨年の西暦2016年は、『聖書』ならびに『日本書紀』の預言説から導き出される「0、1、2、6の法則」から、最後の審判の日と想定される有力候補の一つの年でした。2017年を迎えたことから、最後の審判の日は、過ぎたのか、と言いますと、そうとも言えないようなのです。
 
古今東西紀年法におきましては、暦法calendar)、年始の日がいつであるのか、そして、今日では、時差によりまして、一年の始まりと終わりの年月日にはずれが生じます。西暦(グレゴリウス暦)にもとづくキリスト紀年法、すなわち、西暦使用地域におきましても、一年の初めの日は、クリスマス(現12月25日)、イースター(3月25日)、現行と同じ1月1日なとするなど、様々な日が一年のはじめとされました。ニュートンの時代の英国でも、ニュースタイル(the New Style)とオールドスタイル(the Old Style)が、併用されていたのです。
 
従いまして、『聖書』に見える、ある特定の年代から1,260年という年数を数えることで割り出される「最後の審判の日」の年代は、一年の初めの日が、いつであるのかによって、左右されてくることになるのです。例えば、仮に、イースターの3月25日を元日とした紀年法ですと、本日、2017年1月2日は、まだ2016年の内なのです。
 
このように考えますと、おそらく最長で西暦2017年の12月24日までは、2016年とも見なすことができます。すなわち、西暦2017年も「最後の審判の日」の有力候補の年代なのです。
 
本年、世界レベルにおきまして、西暦2017年も激動の年となる予感のするような年です。果たして、人類にとりまして、良き世界への扉を開く「暴露revelation」は、起こるのでしょうか。

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(続き)