時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

正統ユダヤ教徒絶滅作戦とキリスト教の成立

  本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ユダヤ教が、アラブ系イドメア人のヘロデ王によって、トップダウンの形で変質させられたことは、キリスト教の成立とも関連があるかもしれません。
 
『聖書』「新約聖書」マタイ伝・ルカ伝TheBible, the New Testament, Book of Mathew and the Book of Luke は、洗礼者ヨハネイエス・キリストの出自についての事細かな記載にはじまるという特徴があります。「新約聖書」は、キリスト教について扱っておりますので、イエス・キリストの教えから書きだしているのかといいますと、そうではなく、洗礼者ヨハネの時代やイエス・キリストの血筋から筆を起こしています。
 
洗礼者ヨハネについては、その父母は「ヘブライ12(13)支部族」のレビ族であり、母のエリザベスにいたっては、出エジプトの際の指導者・モーゼの兄であって、ユダヤ教の司祭長であり、歴代司祭長の地位を継承していたアーロン家の出であったと記しているのです。イエスにつきましても、その父のヨセフは、ダヴィデ王の子孫であり、母のマリアも、洗礼者ヨハネの母のエリザベスの姪であったと記しています。
 
そこで、まず、洗礼者ヨハネについて考えてみることにしましょう。洗礼者ヨハネの血筋を踏まえますと、洗礼者ヨハネヘロデ王を比較すれば、当時の人々にとりまして、「ヘブライ12(13)支部族」の王国であるヘブライ王国の正統性のある王となるべき人は、ヘロデ王(隠れ異教徒)ではなく、洗礼者ヨハネであると認識していたと考えられます。事実、民衆は、洗礼者ヨハネを擁立しようとしていたらしく、ヘロデ王は、次々と洗礼者ヨハネのもとに集まる民衆の蜂起を恐れて、ヨハネを亡き者にしたようなのです。
 
同時代資料として信憑性の高いフラヴィウス・ヨセフスFlaviusJosephusの『古代ユダヤTheAntiquities of the Jews』第五章には、洗礼者ヨハネは、民衆の間で人気が非常に高く、ヘロデ王は、その人気と民衆の蜂起、そして、その結果による退位を怖れ、「彼を死に追いやることがベストであると考えたthough it best by putting him to death」とあります。
 
洗礼者ヨハネは、ヘロデ王ユダヤ教の戒律違反者としても批判しておりましたので、ヘロデ王は、洗礼者ヨハネを謂わば‘政治犯’として逮捕し、「サロメのダンス」として有名な事件によって、首をはねたのです。このようなヘロデの行為は、「モーゼの十戒」の「汝、殺すなかれ」にも違反しており、掌握した国家権力を悪用してのヘロデ王による正統ユダヤ教徒絶滅政策は、正統性あるユダヤ教指導者を滅ぼすという方法においても進められていたと推測することができるのです。
 
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(続く)