時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ヘロデ王による正統ユダヤ教潰し政策

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日、「‘ユダヤ人’にとっての最大の悲劇は、やはり、‘ユダヤ人’の一部に、モンゴルと手を結ぶ悪辣・非道な人々がいた」点を指摘いたしましたが、その元祖と言えるのが、紀元前1世紀のヘロデ王ならびにヘロデ・アンティパス王であるかもしれません。
 
紀元前12・13世紀頃にモーゼに率いられてエジプトを脱出した機に結成されたのが、「ヘブライ12(13)支部族」であり、この「ヘブライ12(13)支部族」がエルサレムに辿り着く途中、シナイ山の山頂にてモーゼが神様より授かったのが「モーゼの十戒the Ten Commandments」です。紀元前10世紀にサウルによってヘブライ王国が建国され、紀元前9世紀のソロモン王の時代ともなりますと、「モーゼの十戒」は、エルサレムのソロモンの第一神殿の「契約の箱the Ark」のなかに収められ、以後、「ヘブライ12(13)支部族」、すなわち、先祖伝来のユダヤ人の信仰の要、支柱となりました。すなわち、ユダヤ教とは、「ヘブライ12(13)支部族」と一心同体のような関係にあったことになります。我が国の神道と日本人との関係に近いと言えるでしょう。
 
ところが、紀元前1世紀に異変が起こります。アラブ系遊牧民族のイドメア人のヘロデ王が、ハスモン王家という「ヘブライ12(13)支部族」の王族と婚姻関係を結び、ユダヤ教徒のトップに立ってしまったのです。この問題は、今日考えられている以上に深刻であったと考えることができます。喩えれば、世俗においてはバチカン市国の国王であり、宗教にあっては、カトリックの頂点にあるローマ教皇の位に、イスラム教徒が就いたようなものなのですから…。
 
所謂「ネオ・ユダヤ人」であるヘロデ王は、エルサレムに第2神殿を建てるなど、ユダヤ教の‘教皇’として振る舞うようになるわけですが、スタイン・ザルツStain Salts氏の『The Essential Talmud』は、司祭の任命などについて、「After the rise of the Herodian dynasty and in the days of the Roman governors, corruption was involved in the appointment on priests, and the high priesthood was sometimes awarded to people who paid enormous sums in order to purchase the honor.ヘロデ王朝以後、ローマ総督支配時代の間、汚職が司祭の任命においてはびこった。司祭長のポストは、しばしば、この名誉ある地位を買うために莫大な金額を支払った人に与えられた)」と述べております。すなわち、ヘロデ王は売官行為によって、伝統あるユダヤ教司祭の家々を潰していったと言えるでしょう。『聖書』「旧約聖書」に近い内容を持ち、さまざまな規律をも含めたユダヤ教の教典である「タルムード」は、口伝でありましたので、伝統あるユダヤ教司祭の家の人々が、司祭長や司祭になれないといった事態は、正統ユダヤ教の断絶をも意味したはずなのです。
 
ユダヤ教は、ヘロデ王によって、トップダウンの形で変質させられたようなのです。このような変質が、今日まで続くネオ・ユダヤ人問題の発端であるとも言えるでしょう。

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(続く)