時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

‘世界は一つ’という認識の歴史的形成過程(その3):フェニキア人の世界進出は世界支配思想とは結びつかなかった

 地政学は、地球の球面全体(地表、スフイア、sphere)における自らの勢力範囲の如何を考えるための学問分野であることから、「古代ギリシャピタゴラス学派による地動説Heliocentrism(地球球体説)の学術的発見、そして、フェニキア人の海洋進出は、地政学的思考geo-political thinkingにもとづく世界支配と直ちに結びつくものとなったのか」、と言えば、そうではないようです。すなわち、ギリシャ人もフェニキア人も、地球が、‘一つの球体’、‘一つの世界’であるという認識を持っていたからといって、すぐには世界支配という計画を考え出さなかったようです。

 

 確かにフェニキア人は、交易・商業活動に従事した人々であり、地動説による海洋進出は、たとえ世界一周はできなくとも、経済的利益と深く結びついていたはずです(フェニキア人がアメリカ大陸に到達していた可能性はありますが、測量技術の未発達とマゼラン海峡の複雑性を考えると、船を陸揚げしてパナマ海峡を渡るか、もしくはパナマ海峡で造船しなければ、当時、世界一周をすることは不可能であったのでは)。世界各地の貴金属、貴石、香料、毛皮、象牙、工芸品などの特産品をフェニキアの大型船の船底に積み込んで帰港すれば、莫大な利益があったはずなのですから。フェニキア人たちは、さらに珍しい特産品を求めて、‘見知らぬ土地’へ向かって帆を上げたことでしょう。

 

 しかしながら、フェニキア人たちは、集住して一つの国家をつくらず、中近東にティルスTyreやシドンSidon、北アフリカカルタゴCartageなどの国々(港湾都市国家)を建て、分散して居住したことに示唆されますように、海洋民族のフェニキア人たちにとりましては、陸的・領域的な支配は苦手であったようです。

 

 すなわち、本国(港湾都市国家port city-state)と進出地との関係は、本国による点的なネットワーク支配であったと言えます。フェニキア人たちは、進出地の港、およびその周辺部にたとえその居住地をつくろうとも、それは、いわば、“支店”の機能を持つものであり、諸寄港地のすべての港を含む全領域を支配するという発想には、至らなかったと推測することができるのです。語弊はあるものの、たとえてみれば、日本の鎖国時代にオランダが、出島のみをその居住地としながら、幕府とのほぼ独占貿易関係の成立によって、莫大な利益をオランダ本国にもたらしたことと似ていることも言えましょう。

 

 古代ギリシャ人も似たり寄ったりであり、古代ギリシャ人は、ペロポネソス半島エーゲ海に浮かぶ諸島、アナトリアなどに小さな都市国家ポリスを建てて分散して居住しており、たとえ植民国家を進出地につくろうとも、面的な繋がりを持つ全領域的支配への関心は薄かったと考えることができるのです。

 

 では、古代ギリシャの地動説と地政学的思考geo-political thinkingにもとづく世界支配という思想とが、結びついたのは何時のことであったのでしょうか。

 

 それは、紀元前3世紀におけるアレキサンダー大王Alexander the Great(B.C.356B.C.323)の大遠征であったのではないか、と推測することができます。アレキサンダー大王の登場と世界支配思想の登場との関係につきましては、明日、述べてまいります。