モンゴルに起因するペスト流行がユダヤ人迫害に拍車をかけた
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ユダヤ人とモンゴルとの密接な関係によって、「ユダヤ人差別」が発生したとする推測は、以下のようなヨーロッパにおけるペストの流行の経緯によって補うことができます。
1347年から1351年までの4年間、ペストはヨーロッパにおいて猛威を振るいました。その原因は、黒海沿岸にあったジェノヴァの商業都市のカーファが、モンゴル軍に攻囲された際、モンゴル軍の間で流行っていたペスト患者の遺体を投石器に乗せて、カーファ市内に投げ入れたことによります。ペスト菌の保菌者となったカーファ市民が、シチリアなどに逃れたため、ペストは、北イタリアからまたたくまにヨーロッパ全土に広がってしまったのです。
おそらく、ヨーロッパの人々は、十字軍時代におけるモンゴルと‘ユダヤ人’との密接な関係を知っていたことから、モンゴル軍の蛮行に起因するペストの流行も、ユダヤの陰謀ではないか、と考えたのです。ジェノバが、モンゴルとも密接な関係にあり、’ユダヤ人’が多く居住していたヴェニスのライバル商業都市であったことも、このような推測に拍車をかけたことでしょう。すなわち、‘ユダヤ人’は、モンゴルに軍略、外交、征服正当化思想などにおいて、指南役となっていたようですので、ヨーロッパの人々は、ペストの流行もユダヤ人がモンゴルに指南した結果であるに違いないと推測したのです。
本当に、‘ユダヤ人’がモンゴル人に対して、ペストの拡散という残忍な戦略まで指南していたのか、否か、それは、未詳ですが、モンゴル人の蛮行までもが、‘ユダヤ人’の仕業として、広く信じられるようになり、「ユダヤ人迫害」が行われたのでしょう。「ユダヤ人迫害」は、ロシアの「ポグロム」など、特にモンゴルからの被害が大きかった地域におきまして、顕著であることも、このような推測を補います。
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(続く)