時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ナポレオンと非文明-スフィンクスの鼻をへし折った意味

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。フランス大統領選挙のマクロン候補とナポレオンとの共通点を昨日指摘いたしましたが、ナポレオンという人物の奇妙さと危うさは、その背景に起因していると考えることができます。
 
第一に、ナポレオンの出身地であるコルシカ島は、先住民族があって独自の言語であるコルシカ語があるなど、独自の文化を持つ島であったことが注目されます。1797年以降はフランスに帰属しておりますが、それ以前は、長くジェノバ共和国に帰属しておりました。コルシカ島には、その旗章がネイティブ・アフリカンの頭部であるという特徴があります。2月11日付本ブログにて指摘させていただきましたように、ロスチャイルド家と密接な繋がりのあるヴィクトリア女王の母であるマリー・ルイーゼ・ヴィクトリア・フォン・ザクセンコーブルク=ザールフェルト(Marie Luise Viktoria von Sachsen-Coburg-Saalfeld)の出身地であるコーブルクの市章も、1430年以降、聖マウリティウスという黒い肌を持つネイティブ・アフリカンの頭部となっております。ナポレオンの出身地とヴィクトリア女王の母の出身地の旗の図柄には、黒い人の頭部であるという共通点があるのです。黒い人崇拝は、イエズス会の黒マリア信仰、すなわち、非文明崇拝を想起させるでしょう。
 
第二に、ジェノバは、ヴェネチアとともにモンゴルとの間に活発な交易を行っていたヨーロッパの2つの都市国家のうちの一つでもあります。コルシカはモンゴルとの繋がりも強かったと推測することができますが、ヴィクトリア女王をめぐる状況にもモンゴルとの関係が見え隠れしています。2月7、8日付本ブログにて指摘いたしましたように、ナポレオン戦争中に国王であったジョージ3世(在位:1760~1800年)の王妃は、北ドイツのメケレンブルグ公国の出身のシャーロットでありました。13世紀、モンゴルは、1243年に東欧地域にキプチャク・ハン国を建国いたします。ポーランド、シレジア、スェーデンにも侵入し、メケレンブルグ領内、もしくは、その近郊にまで、その影響力を及ぼしていたと考えることができるのです。このことは、モンゴル系の人々が、この地域に侵出してきていた可能性を示しております。「メケレンブルグ」とは、「大都」という意味なそうです。モンゴル帝国の首都が「大都(現在の北京)」であることと、何らかの関連があるのかもしれないのです。
 
第三に、ナポレオンもジョージ3世もフリーメーソンであったとされております。
 
本ブログにて、世界支配志向勢力は、ロスチャイルド家を中心とした所謂‘現代ユダヤ人’やイエズス会によって構成されている可能性を述べてまいりましたが、このように考えますと、憶測の域を出ませんが、ナポレオンの背景にも、非文明崇拝思考を持つ世界支配志向勢力があったのかもしれません。
 
ナポレオンが、エジプト遠征において、スフィンクスの高い鼻を大砲で折ったことは有名です。人類文明の黎明期、紀元前数千年前から存在し続け、人類の知恵を象徴し、人類文明の貴重な遺産とも言えるスフィンクスの鼻を折ったことに、今日のISやボコハラムによる文化財破壊活動という蛮行の先例とともに、ナポレオン、そして、世界支配志向勢力の思想の一端を見ることができるかもしれません。

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(続く)