時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ナポレオンの背景にはイエズス会があったのか

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日、ナポレオンの背景の問題として、コルシカ島の旗がネイティブ・アフリカンの黒い人の頭部であることを指摘いたしましたが、読者の方より、コルシカ島の南に位置するサルディニア島の旗も同じような黒い人の頭部(サルディニアの場合は4つ)であるとする指摘をいただき、調べてみますとやはり黒い人の頭部でした。
 
サルディニアといいましたなら、1861年のイタリア統一の際に、国王となったヴィットリオ・エマニュエルⅡ世Victor Emmanuel II (Vittorio Emanuele Maria Alberto EugenioFerdinando Tommaso; 14 March 1820 – 9 January 1878)の出身地です。巨視的に見ますと、19世紀に入り、フランス国王(実質ローマ皇帝)にコルシカ島出身のナポレオンが就き、次いで、イタリア国王にサルディニア島の出身のヴィットリオ・エマニュエルⅡ世が、あたかもローマ帝国の復活のように就いたとなりますと、そこには、何らかの関連性を認めることができます。では、どのような点が両島を繋いでいるのでしょうか。
 
コルシカ島には先住民がいたことを昨日述べましたが、サルディニア島にも先住民がおり、その言語は、スペインのバスク地方の言語と共通性があるそうです。バスク語は、インド・ヨーロッパ語に属さない謎の言語なのですが、イエズス会創始者、イグナティウス・ロヨラ、そして、フランシスコ・ザビエルは、ともにこのバスク地方の出身である点は注目されます。ロヨラが、イエス・キリストではなく、黒マリアを崇拝していた点、そして、国家権力を君主に集中させて間接支配するというイエズス会の世界支配戦略を踏まえますと、ナポレオンの即位とヴィットリオ・エマニュエルⅡ世の即位という世界史的な流れの背後には、イエズス会が関連している可能性が浮上してくることになります。ヴィットリオという名が、ヴィクトリアの男性形である点も気にかかります。
 
両島は、13世紀には、regnumSardiniae et Corsicae ("Kingdom of Sardinia and Corsica")として、ローマ教皇領でもありました。また、ナポレオンも、ヴィットリオ・エマニュエルⅡ世も、‘ローマ皇帝’を目指した節があり、‘ローマ帝国’との関連も指摘できるかもしれません。
 
マクロン候補の背後にも、イエズス会があるのか、否か、それは調査しなければわかりませんが、世界史的な流れの背後にあるイエズス会の非文明崇拝には、十分気を付けなければならないと言えるでしょう。
 
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(続く)