加藤清正の満州侵攻とロシアの東方侵出の背景にイエズス会あり?
1592年は、ロシアでは、フョードルⅠ Feodor I Ivanovich(在位:1584年 - 1598年)の時代であり、その父のイヴァン4世(イヴァン雷帝)Ivan IV Vasil'evich、(在位1547年 - 1574年、1576年 -1584年)が、1552年にカザン・ハン国、1556年にはアストラハン・ハン国を滅ぼして始めてキプチャク・ハン国の一部を併合し、シベリアに向かって東方への拡大を開始しておりました。では、イヴァン4世が、反モンゴルの立場にあったのかと言えば、そうではなく、イヴァン4世には、母方を通してチンギス・カンの長男ジョチの後裔であるという特徴があり、この点が、東方侵出の理由ともなっていた、と推測することができます。すなわち、かつてユーラシア・中国大陸全土を支配したモンゴル帝国の再興を目指して、東方侵出を計画していたと考えることができるのです。当然、かつて、モンゴル帝国の支配下にあった満州もその対象であったことになります。
このことから、「モンゴル帝国の再興を計画するにあたり、イヴァン4世はイエズス会を頼った」とする仮説を提起することができるかもしれません。その理由は、ジョン・S・トレル氏John S. Torellが、氏の機関紙、『European-AmericanEvangelistic Crusades』(1999年7月号)のニュースレターに掲載した論文で指摘されておりますように、イエズス会の創始者であるイグナティウス・ロヨラIgnacio Loyolaは、スペインのギプツコア洲のバスクで生まれ、両親はマラーノ(キリスト教に改宗したユダヤ人)であったことにあります。すなわち、13世紀のマスター・ロバートと16世紀のロヨラは、ともにイベリア半島出身の「黒いユダヤ人」であったことになるのです。
イエズス会は、キリスト教の仮面を被った「黒いユダヤ人」の国際組織であるがゆえに、秘かにモンゴル帝国の再興を目指していたロシア皇帝フョードルⅠからの要請を受けて、加藤清正に、満州視察、もしくは、ヌルハチへの密書伝達を依頼していたとする推測は、成り立つ余地があるかもしれないのです。