時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ロシアのエカチェリーナⅠ世はハザール系‘ユダヤ人’?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。ハザール国Kingdom of Khazaria, Khazar Khaganate(650969年)には、1世紀のディアスポラによって、この地に移動してきていた「12・13支部族」のユダヤ人も多少は居住していたとは考えられますが、ユダヤ教がハザール国の国家宗教となったことによって、モンゴル系やタタール系などの様々な民族も‘ユダヤ人’となったと推測されます。これらの人々は、ハザール国が滅亡しても、ユダヤ教徒のままであったり、あるいは、カトリックなどに改宗したと考えることができます。

 

この点、昨年の11月28日の本ブログにおいて述べたピョートル1世の妃であって、ロマノフ朝2代のロシア皇帝(在位:1725 - 1727年)となったエカチェリーナ1Catherine I、Екатерина I Алексеевна(1684- 1727年)の出自問題との接点を、以下の点から指摘することができます。

 

1)エカチェリーナの出自について確認できる史料はない。1684415日(ユリウス暦45日)に生まれたとされる。もともとは、マルタ・ヘレナ・スコウロンスカという名前であった。マルタは、ミンスク出身のカトリック系農夫とドロシア・ハンDorothea Hahnという女性との間に生まれたサミュエル・スコウロンスキーSamuelSkowroński(一説によると墓堀人夫)を父として出生している。

 
2)マルタの祖母のドロシア・ハンDorothea Hahnは、「ハンHahn」という家名から、モンゴル系であると考えられる。ロスチャイルド家の元の家名も「ハンKhan」であり、マルタはロスチャイルド家、もしくは、その一族の支援を受けていた可能性がある。
 
3)マルタの父のサミュエル・スコウロンスキーSamuel Skowrońskiの両親はベラルーシミンスク出身であるが、ミンスクは、ポーランド・リトアニア共和国時代に多くのポーランド人とユダヤ人が移住してきた都市であり、ユダヤ人が多い。「サミュエル」という名前から、スコウロンスキーの両親も、‘ユダヤ人’であった可能性が高く、第一点の「ハン Hahn」の問題を踏まえると、モンゴル系の「黒いユダヤ人」であったと考えられる。サミュエルは、ローマ・カトリックに改宗していたのかもしれない。
 
4)スコウロンスキー家が移住し、マルタの生まれたラトヴィアLatviaリヴォニアは、モンゴル系遊牧民フン族の居住地であったところであり、モンゴル色の強い地域である。第一点と第二点を踏まえると、モンゴル系の「黒いユダヤ人」の多いリヴォニアに移り住んだとも推測できる。
 
5)マルタの容貌の、がっしりした体格、漆黒の髪、太くて黒い眉、大きな顔といった特徴から、マルタはコーカソイドではなく、モンゴロイドであったと推測される。
 
6)マルタを女帝位に就かせた新興勢力とは、‘ユダヤ系’の勢力であったと推測される。
 
これらの点は、エカテリーナⅠ世の出自が、カトリックに改宗していたハザール系・モンゴル系‘ユダヤ人’であった可能性をもたらしています。すなわち、卑賤の出であり、所謂‘従軍慰安婦’でありながら、ロシア史上、はじめて女帝となったエカテリーナⅠ世の出自の問題は、ハザール系‘ユダヤ人’をめぐる今日的問題と直結している可能性を指摘することができるのです。すなわち、ハザール系‘ユダヤ人’の問題がイルミナティー問題と繋がっていること、そして、ロシア史やイルミナティーが世界史、そして、現在の世界情勢にも影響を与えていることを踏まえますと、エカテリーナⅠ世の登極によってロシアの権力体に入ってきた‘ユダヤ系’の国際勢力とハザール問題との歴史的関連の如何は、解明すべき課題の一つであると言えるのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

 
(続く)