時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イルミナティーは明治維新に潜伏・カクレキリシタンを利用した?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日、本ブログにて、明治時代に禁教が解かれますと、全てではないにせよ、潜伏・カクレキリシタンの秘密結社が、イルミナティー(イエズス会の後身)に加わったことは、十分にありえると述べました。しかし、明治時代を待たずして、「明治維新」と称されている‘イルミナティー革命’の展開に際して、すでに、潜伏・カクレキリシタンの秘密結社はイルミナティーと結びついていた可能性を指摘することができます。
 
このような推理は、一部の潜伏・カクレキリシタンたちが、秘かに‘マリア観音’として拝んでいた慈母観音像が、中国製である点によって導かれてまいります。江戸時代は禁教ですので、日本国内でこのような‘マリア観音’を製造することは困難ですので、当然、その製造地を海外に求めたと推測することができます。そこで、イエズス会が拠点を置いていたマカオや台湾などにおいて製造されたことは十分にありえるのです。そして、このことは、鎖国状態にありながらも、平戸や長崎を通して、江戸時代においても、潜伏・カクレキリシタンたちが、イエズス会と連絡を取り合っていた可能性をも示しているのです。
 

6月20日付本ブログにて述べましたように、鄭成功(1624~1662年)は、日本人女性(平戸藩士の娘・田川まつ)と中国人の貿易商、海賊、官員であった鄭芝龍Zheng Zhī-lóngNicholas Iquan1604- 1661年)との間に長崎で出生し、台湾島に国家(鄭氏政権)を建設した背後には、イエズス会を中心とした「黒いユダヤ人」の国際組織との関連がありました。さらに、戦国時代以降、平戸には、秀吉の朝鮮出兵の際に、日本に渡ってきた多くの朝鮮系キリシタンが居住していたそうです。

 
このような点から、平戸や長崎の潜伏・カクレキリシタンたちの一部は、中国や朝鮮のキリシタンたちと結びついており、江戸時代中期にあたる1776年にイエズス会士によってイルミナティーが結成されると、イルミナティーの下部組織に編入され、幕末には、‘イルミナティー革命’の要員として活動したと推測することができます。正体不明の‘ええじゃないか’の集団には、イルミナティーが海外の日本人町からつれて来た人々の他に、このような潜伏・カクレキリシタンたちが参加していたのかもしれません。
 

幕末に、‘イルミナティー革命’を進めた薩摩藩長州藩は、イエズス会の影響の強い藩です。特に、薩摩藩(鹿児島)は、秀吉の朝鮮出兵の際に、日本に渡ってきた朝鮮人陶工たちが武士身分に取りたてられるなど、朝鮮との結びつきの強い藩です。このように考えますと、西郷隆盛の訪台も、‘イルミナティー革命’の一環であったはずであり、本日放送予定の大河ドラマ『西郷ドン』の第26回分のタイトルが、「西郷、京へ~いざ革命の舞台に」であることは、明治維新が‘イルミナティー革命’であったことを暗示しているような気がいたします。


 

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(続く)