時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「ランドルフ氏ルイ17世説」の真相

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。「ルイ17世」であると主張したカール・ヴィルヘルム・ナンドルフ氏Karl Wilhelm Naundorff (1785? – August 10, 1845)が、「イルミナティーのルイ17世」であった可能性は、以下の点からも窺うことができるようです。
 
ランドルフ氏は、独ベルリンの時計職人であったようですが、放火犯として服役していたこともあるような人物です。氏の両親につきましては、本人がルイ16世とマリーアントワネットであると主張していることに示されますように、まったく不明であり、ランドルフ氏は、いわば完全に“出自不明”の人物なのです。
 
そして、ランドルフ氏をめぐっては、自らがルイ17世であると世に訴え始めるのが、ロンドンからであるという奇妙な状況があります。ロンドンの出版社から、氏が生存していたルイ17世であるとする書籍が出版され、一躍、「ランドルフ氏ルイ17世説」が、マスコミを通して瞬く間に広く知れ渡るようになるのです。
 
真偽不明であったことから、それを確かめるためにランドルフ氏は、ルイ17世の教育係であった女性、アガサ・ランボーAgathe de Rambaudの家で暮らすようになり、この女性が、ランドルフ氏はルイ17世であると認めたことから、「ランドルフ氏ルイ17世説」は、俄かに信憑性を帯びるようになりました。その一方で、ルイ17世の姉であるマリーテレーズは、ランドルフ氏はルイ17世ではないと証言し、真偽の判断は、21世紀にまで持ちこされることになったのです。
 
こうして2004年に、DNA鑑定の結果、ランドルフ氏は、マリーアントワネットの子ではないことが判明したわけですが、では、なぜ、ルイ17世の教育係であったアガサは、ランドルフ氏はルイ17世であると認めたのでしょうか。この女性が、ルイ17世と「イルミナティーのルイ17世」の両者の教育係であったと考えますと、辻褄は合う気がいたします。アガサは、革命が発生してもギロチンに送られることは無く、相当額の年金を得ておりました。ルイ16世やマリーアントワネットと近い関係にありながら、ギロチンに送られなかったことは不審であり、アガサは、ジャコバン恐怖政権から何らかの懇意を受けていた可能性があります(ジャコバン恐怖政権はイルミナティー政権である可能性が高い)。
 
イルミナティーが、フランス宮廷内に送り込んでいた「イルミナティーのルイ17世」とは、そらくは、ルイ16世、もしくは、マリーアントワネットの同意のもとで、国王一家が引き取っていたルイ17世によく似た児童、すなわち、ランドルフ氏のことであると考えることができます。その目的は、革命が発生し、処刑されそうになった際に、ランドルフ氏を替え玉とすることであったと考えられます。しかしながら、教育係であったアガサが、タンプル塔から逃したのは、本者のルイ17世ではなく、ランドルフ氏であったのではないか、と推測することができるのです。
 
すなわち、王党派が、ルイ17世を逃亡させようとした際に、どちらが本者のルイ17世であるのかをアガサに確認したと推測することができます。この点を知っていたアガサは、ランドルフ氏を指して「こちらが本者のルイ17世である」と嘘をついたため、ランドルフ氏、すなわち、「イルミナティーのルイ17世」は逃げることができた一方で、本者のルイ17世は、残酷な死に目にあうこととなったと推理することができるのです。
 
この問題を、逆パターンに置き換えて、密かに表現したのが、チャールズ・ディケンズCharles John Huffam Dickensが、ジャーナリストの視点からフランス革命を描いた小説『二都物語A Tale of Two Cities

』(1859年)である気がいたします。


 

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(続く)