時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

村山談話の問題点-知性の抑圧

 日本社会党の委員長が首相を務めた村山政権。村山政権時代の1995年の終戦記念の日に、村山談話は、閣議決定の上で発表されました。以後17年、この談話は、亡霊の如くにアジアを彷徨っています。

 先の戦争を”植民地支配と侵略”と述べた村山談話が亡霊と表現した理由は、その文言に確固たる事実の裏付けがないからです。”侵略”の定義については、実のところ、今日の国際法でも曖昧であり(盧溝橋事件で先に発砲したのは中国側…)、”植民地支配”という言葉にも、違和感を禁じざるを得ません。少なくとも、日本国は、東南アジア諸国においては、植民地支配を終わらせるために戦場とはしても、自国の植民地として支配してはおりません。中国大陸でも、王兆銘政権を支援をし、軍事占領はしても、中国の領域を自国領としたことはありませんでした(満州国は、国際社会から承認されなかったものの、独立国家とした…)。自国の領域としたのは、台湾と朝鮮になりますが、朝鮮に関しては、韓国併合条約の締結によるものであり、平和裏に合併しています。台湾は清国から割譲を受けたものですが、近代化に貢献しこそすれ、台湾を搾取することはありませんでした。この点は、朝鮮半島も同様であり、インフラの整備や教育の普及など、近代化に努めています。日本統治時代には、台湾にも朝鮮にも地方議会が設置されましたし、日本本土では、参政権も認められていたのです(朝鮮籍議員も出現…)。朝鮮王室に至っては、日本国の皇室に準じる地位が付与されていたのですから、搾取的な植民地支配とは明らかに違っているのです。

 村山談話には、”疑うべくもないこの歴史の事実”という言葉も含まれています。この言葉は、”台湾や朝鮮の支配は、本当に過酷な植民地支配であったのであろうか”とする、人々の素朴な疑問を封じています。事実を知れば知るほど、その疑いは濃くなるにも拘わらず…。疑うことさえ許さない村山談話の姿勢は、健全な知性に対する抑圧を意味しているのではないかと思うのです。

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