時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

政治権力と八角形(八角形の古墳の意味は何?)

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が臨時に記事を書かせていただきます。臨時ですので、日本国統合のお話からすこし離れて、天武・持統合葬墓とされている野口王墓古墳が八角形である謎について考えてみましょう(野口王墓古墳が八角形であることは、5月24日に宮内庁発表)。

 古墳の形状が八角形であることは、天皇陵級・王墓級の古墳であることのメルクマールとされています。八角墳は、7世紀の古墳に特徴的に見られ、その数も非常に少ないのですが、副葬品の内容が王族級の人物に相応しいものとなっていることから、天皇陵・王墓ではないかと推察されているのです(古墳の形状は、弥生時代には円墳、方墳、前方後方墳、双円墳とまちまちなのですが、卑弥呼の墓とされる大市墓の頃から、前方後円墳が主流となり、形式化してゆきます。しかし6世紀末、7世紀初頭頃から、再び、様々な形状の古墳が築造されるようになり、八角墳もこの頃から造られるようになります)。

 では、なぜ、八角形に築造されたのでしょうか。八角形には意味があった可能性があります。古代に遡れば、吉野ヶ里遺跡の王墓級の古墳の一つは、八角形に築造されています。世界史的にみれば、アルシノエというクレオパトラ7世の妹で、一時プトレマイオス13世とエジプトを共同統治した女性の墓も八角形です。

 なかでも、わたくしが八角形の謎を解く建物として最も注目しているのは、法隆寺東院伽藍(上宮王院)の夢殿(金堂に相当)です。法隆寺東院伽藍は、聖徳太子が万機摂政として政務にあたっていた斑鳩宮の址に、8世紀、天平時代になってから建てられたものです。その中心の夢殿に本尊として安置されている救世観音像は、秘仏とされ、およそ一千年にわたり白布をまかれた状態で厨子のなかに封印されてきました(厨子八角形)。明治時代となってアーネスト・フェノロサ岡倉天心によって、封印は解かれたのです。

 聖徳太子が万機摂政であった点、また「救世観音」という呼び名は、すぐれた為政者によって世を救うことを意味する点を踏まえれば、八角形という形状には、政治権力とのかかわりが推察されてきます。この問題を、「祭祀王」と「執政王」による祭政二重統治の視点からみてみますと、政治を執った人物、すなわち「執政王」の墓が八角形に造られたことは、ありえます。天武・持統合葬墓の形状も、おそらくは、両者のいずれかが政治権力を行使していたことによるのでしょう。

 法隆寺の夢殿や救世観音像につきましては、詳しくは、拙著『救世観音像 封印の謎』(白水社 2007年刊)、『仏教伝来の源流:百済観音と救世観音がむすぶ東洋と西洋』(勉誠出版 2010年刊)をご一読ください。


(次回に続く)。