時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本文化の「何でも日本起源説」

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。我が国では、古来より、祭具として、鏡が珍重されておりますことは、天照大神が、「八咫の鏡」と称される鏡によって象徴されていることによりましても、示されるとおりです。
 
昨日、我が国古代の銅鏡をめぐりまして、紀元前2世紀には、国産鋳造がはじまっていた可能性を示す多紐細文鏡の鋳型が、福岡県の須玖タカウス遺跡より発見されたという報道が、ありました。その報道には、殊更に、鏡と朝鮮半島との関わりを強調する内容のものが多いことに、疑問、違和感を感じました。そこで、今日は、進化論から離れて、鏡問題も含めまして、日本文化を朝鮮起源であると主張する歴史学・考古学における所謂「何でも朝鮮起源説」の問題ついて扱いたいと思います。鏡と朝鮮半島との関わりを強調する内容が、奇妙であることは、以下の点から指摘することができます。
 
まず、第一に、三角縁神獣鏡が、国産であるのか、中国製であるのか、議論となっておりましたように、我が国の古墳などの遺跡から発見される鏡は、正円形であり、正円形の鏡は、古代中国大陸で、実用として用いられていた小さな鏡をモデルとしている、ということです。すなわち、鏡の鋳型の発見は、朝鮮半島ではなく、むしろ中国大陸との関連で理解すべき考古学的発見物であることになります。
 
第二に、文化・宗教としての鏡は、我が国独自の展開であり、それ故に、我が国の鏡は大型化しております。したがいまして、直径20cmを超えるような大型の鏡は、中国大陸や朝鮮半島では、発見されておりません。500面をこえる出土数のある三角縁神獣鏡も、すべて直径20cmを超えておりますように、遅くとも、『魏志倭人伝』の3世紀前半までには、我が国では、鏡は、すでに祭祀用として大型化しているのです(鉾や釼も、同様に、祭具として大型化しております)。今回発見されたのは紐の部分であり、鏡の大きさにつきましては、未詳のようですが、鏡の使用法、鏡の性格の問題を踏まえますと、鏡の大きさの問題も重要であることになります。
 
第三に、多紐細文鏡は、朝鮮半島からも出土しているそうですが、『三国志』「魏志」韓伝や『隋書』には、朝鮮半島には、日本人(倭人)も居住していたと記されております。このことは、朝鮮半島で発見された多紐細文鏡は、日本人(倭人)によってつくられていた可能性を示しております。
 
‘古代の朝鮮半島には、日本人(倭人)も居住していた’という歴史的事実を、韓国と北朝鮮は、認めようとしない、という問題があります。しかしながら、このように考えますと、「何でも朝鮮起源説」は間違えであり、日本文化をめぐりましては、やはり、「何でも日本起源説」である可能性のほうが、よほど高いのです。
 
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
 
(続く)