時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:‘自己意識’は脳機能とどのようなかかわりがあるのか

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。2015年6月9日附けの本ブログの記事にて、「人類の人類たる所以は脳の進化」というサブタイトルにて、すべての生物のなかで、脳の進化において、最も進んでいる、すなわち、最も知能の発達した生物が人類であり、この点につきましては、異論はないのではないかと述べました。

しかしながら、このような人類の脳機能の発達とヒューマニティーの醸成との関わりについては、解明されているわけではありません。すなわち、脳機能のいかなる働きによって、‘自己意識’が生じ、さらに、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」の間におきましては、その‘自己意識’において、ヒューマニティーが生じることになったのか、といった問題は、未解明の課題であるのです。そもそも、人類には、‘自己意識’は、いったいどこから、そして、いつの時点から生じるのか、といった問題があります。
 
こうした問題の解明の糸口となるような、興味深い様々な研究が、進んでいるようです。オーストリアの研究所が、人間の脳の培養に成功したということも、その一例として挙げることができます。成長はするものの、僅か4mm程度までであり、その後は、成長が止まってしまうそうです。
 
仮に、研究が進み、SFのように、培養脳が、そのまま成長をし続けるようになりますと、いったいどのような結果となるのでしょうか。培養液のなかで、その脳は‘自己意識’を持つようになって、思考し始めることになるのでしょうか(仮に、培養脳が思考を始めますと、その培養脳に‘人権’を認めるべきか、否かは、大問題となってしまいます)。それとも、その成長した培養脳を、脳死状態の人の脳に移植いたしましたならば、移植した瞬間に、脳死状態の人の‘自己意識’は、脳死前の状態に回復するのでしょうか。その時に、その人の記憶はどのようになっているのでしょうか。
 
あるいは、以下のような仮説も提起することができます。未発達段階の培養脳を脳死状態の人に移植いたしますと、培養脳は、神経ニューロンを通しての刺激などによって成長してゆくことになり、やがて、脳死状態の人は回復するようになるという仮説です。この場合、培養脳の移植によって回復した人の‘自己意識’は、脳死依然の状態と変わりはないのか否か、といった問題も、指摘することができます。
 
現実には、ありえないような仮定や仮説ですし、人体実験に参加したいと申し出る人はいないのではないか、と考えられますが、‘自己意識’は、脳機能より生じるのか、それとも、宗教的に言う‘魂’より生じるのか、‘自己意識’は、いったいどこから生じるのか、といった問題を考える上で、脳の研究は、示唆に富んでいると言うことができるでしょう。

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(続く)