時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:「世界遺産」の認定問題に隠された「価値観」の‘押し付け’問題

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。10月20日付本ブログにて、仮に「世界政府」が成立した場合の脅威の問題と関連いたしまして、ユネスコによる「世界遺産」の認定問題が、その先駆となるような事例である点について指摘させていただきました。すなわち、ユネスコ事務局の価値判断によって、「世界遺産」であるのか、否かが左右されてしまうことは、「世界政府」が成立した場合もまた、同じように、そのトップによる価値観の‘押し付け’が行われる可能性を示唆しているのです。
 
 「世界遺産」への登録をめぐりましては、一般的には、「世界的な名所旧跡として認定された!すならしい!」といったように、単純に捉えられる傾向にありますが、このように考えますと、「世界遺産」の認定をめぐるユネスコによる「価値判断」の問題には、人類にとりまして重要な問題が潜んでいるようです。「世界」と冠している以上、「世界遺産」には、‘人類に共通して価値ある文物とは、この遺産である’、もしくは、‘この遺産でなければならない’という秘かなる‘押し付け’、もしくは、暗黙の圧力が、隠されているように推測されてくるからです。
 
通常、ある一部の国や人々の‘価値観’において、世界に喧伝すべき遺産と認識された文物も、他のある国や人々にとりましては、‘無価値’となってしまう場合があります。古今東西の歴史的遺物は、それぞれ複雑な歴史的背景を持って成立しているため、登録申請遺跡は、複数の国と関連している場合もあります。したがいまして、ユネスコに‘気に入られた’国の‘価値観’を基準として、「世界遺産」が認定されてしまいますと、別の‘価値観’を持つ国や人々からは、受け入れ難いということになるのです。
 
このような「価値判断」の問題が、文化面のみならず、政治面にも拡大した場合、憂慮すべき状況がもたらされることになります。その先例が、共産党一党独裁という考えであり、国民に対しまして、共産主義という価値観以外の価値観をいっさい認めない、という‘押し付け’は、明らかに、国民から思想の自由を奪っていることになります。「世界政府」が成立いたしますと、世界レベルで同様の価値観の’押し付け’が生じることになります。
 
本当の世界遺産とは、「世界遺産」として登録された遺産ではなく、人々が、自然に、一度は訪れてみたいと考えるような、そして、足を運びたくなるような遺産なのではないでしょうか。
 
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(続く)