時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”虐待”から読み解く独裁者のメンタリティー

 昨日は、虐待が脳に対して与えるダメージを、暴力主義が支配する”虐待国家”における国民の立場に当て嵌めて考えてみました。本日の記事では、”虐待国家”の国家体制から独裁者のメンタリティーを分析してみようと思います。

 昨日の記事で指摘したように、”虐待”がダメージを与える脳の部位とは、(1)視覚的感情処理と(2)意欲的行動反応の二つなそうです。(1)の視覚的感情処理が未発達であると、他者の表情から感情を読み取ることができず、適切なコミュニケーションをとることが難しくなります。この結果、空気が読めず、相手の感情を無視して、自分勝手に振る舞うこととなるのでしょう。(2)の意欲的行動反応では、何らかの褒賞を示されても、それを得るために自ら積極的に行動をしようとはしない、というものです。昨日の記事では、長らく恐怖政治に支配された国民が、無気力となる現象として説明しました。以上の二つを比べますと、独裁者については、(1)の症状がより強く出るように思えます。暴力主義体制にあっては、ライバルを蹴落とすことで最後に勝ち残った人物が、権力を手にします。こうした権力闘争は、親から子、独裁者から国民への”一方的虐待”ではないものの、いわば、”相互虐待”の状態にあり、負けたが最後、酷い仕打ちが待ち受けています。この”相互性”に注目しますと、相手の感情を全く無視する方が権力闘争に勝ち抜くには有利ですので、一方的な暴力に対する怯えとしての無気力化よりも、脳の視覚的感情処理部位の未発達、あるいは、萎縮が生じる可能性が高いのではないかと思うのです。

 このように考えますと、今日の国際社会でも、視覚的感情処理に問題がありそうな行動をとる”独裁者”の姿が、数人、頭に浮かんできます。民主主義に基づく制度とは、不適切な為政者の出現を防止する制度としても理解できるのではないかと思うのです。

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