時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

『聖書』黙示録に登場する「巨大な赤いドラゴン」は「2016年問題」とかかわる

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。今日も、「2016年問題」について扱ってまいります(今回から、2016年という今年の西暦の数字をめぐる問題は、「2016年問題」と表記いたします)。
 
『聖書』と『日本書紀』に共通して見られる「1と2と6は一回のみ、0は何度使ってもよい法則The Rule of One Time 1, 2 & 6and Any Time 0」は、‘社会的・政治的に大きな変化の起こる年代を構成する数字’の問題と関連して、政教分離政教一致の問題とかかわっている、と再三にわたって、本ブログにて述べてまいりました。
 
「1と2と6は一回のみ、0は何度使ってもよい法則The Rule of One Time 1, 2 & 6and Any Time 0」をめぐりましては、これまで本ブログにおいて述べてまいりました点以外にも、この法則とかかわりがあると考えられる興味深い歴史的事象が幾つかあり、いずれ、その事象につきましても、本ブログにて扱ってまいりたいと考えておりますが、本ブログ、『時事随想抄』は、政治関連ブログですので、まずは、政教分離政教一致の問題、すなわち、政治と宗教の問題が、なぜ、大きな社会的・政治的変化の問題と繋がってくるのか、という点につきまして、考えみることにしましょう。
 
実は、1月25日付の本ブログで、「『聖書』黙示録における「ある特定の年代」の意味について、より深く考えてみることにしましょう」と述べましたが、その「ある特定の年代」の意味は、まさに、政治と宗教の問題と関連があるようなのです。
 
「ある特定の年代」から最後の審判の日までの年数である1,260年という数字は、黙示録の第12章第6節に、「荒野に逃避した女性(救世主の母親)は、1,260年間、神様によって用意された場所において養われた(And the womanfled into the wilderness, where she hath a place prepared of God, that they shouldfeed her there a thousand two hundred and threescore days)」とあることによって、導かれております。この女性が、荒野へと逃避しなければならなかった理由は、「巨大な赤いドラゴンa great red dragon」が出現して、その第一子が、飲み込まれてしまっていたからです。
 
ニュートンは、「巨大な赤いドラゴン」が猛威を振るい、救世主の母親が荒野への逃避を余儀なくされたとされる黙示録の記述を、‘教会の堕落’、‘宗教の堕落’を暗示する記述と見なして、西暦800年における政教分離を、‘教会の堕落’、‘宗教の堕落’と考えたようです。「巨大な赤いドラゴン」は、無神論者である共産党中国をも想起させますが、では、なぜ、ニュートンは、政教分離を‘教会の堕落’、‘宗教の堕落’と考えたのでしょうか。次回は、この点について扱ってまいります。
 
(続く)
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