時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

キリスト紀年法と日本書紀紀年法との不可思議な繋がり:西暦1年は辛酉年

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただき、「2016年問題」について扱ってまいります。


今日、万国共通に、一般的な年代の数え方となっている西暦1年を紀元とするキリスト紀年法(西暦)は、西暦525年に、修道僧のディオニシウス・エクセギウスDionysius Exegiuusによってつくられた紀年法であって、この紀年法が、世界規模で採用されるよういなった理由は、西暦664年にブリタニア(英国)で開催されたウィトビィ宗教会議において採択されたことによることを、前回のブログ(2月26日付)にて指摘させていただきました。
 
では、なぜ、ディオニシウスは、紀元1年をキリスト生誕年と見なし、紀年法の紀元となしたのでしょうか。そして、なぜ、ウィトビィ宗教会議に集った聖職者たちも、あまたの紀年法があるなかで、キリスト紀年法を妥当として、採用したのでしょうか。
 
この点につきまして、キリスト紀年法日本書紀紀年法との不可思議な繋がりを指摘させていただきますと、西暦1年は、干支紀年法におきまして「辛酉」の年にあたることです。
 
60年に一度めぐってくる「辛酉」の年には、政治的・社会的な変化があるとする辛酉革命説は、干支紀年法にもとづきながらも、中国大陸には存在しておらず、日本にのみ伝わる説です。この説が、日本書紀紀年法にビルトインされていることは、先述いたしました。キリスト紀年法日本書紀紀年法の間には、「1と2と6は一回のみ、0は何度使ってもよい法則The Rule of One Time 1, 2 & 6and Any Time 0」や、「1,260年」という年数の他にも、紀元となる年代が、「辛酉」の年であるという共通点もあるのです。
 
このことから、ディオニシウス、ならびに、ウィトビィ宗教会議に集った聖職者たちが、キリスト教世界の紀元epoch yearを、西暦1年とすることを妥当とした理由として、辛酉革命説が、英国、および、ヨーロッパ大陸にも秘かに伝わっていたからである、という仮説も、案外、成り立ってくることにもなります。
 
なぜ、キリスト教(キリスト紀年法)と神道日本書紀紀年法)との間には、共通点が多いのか、一見、かけ離れた2つの宗教の間には、この2つの宗教をつなぐ大きな謎が横たわっており、現在、人類が抱えている問題とも関連してくるということは、なんと不可思議なことなのでしょう。

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(続く)