時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

‘天皇’の生前退位の可否問題を検討する前に‘天皇’の存在意義について考えるべき

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨今、天皇生前退位問題が、マスコミ・政府を中心として、話題となっておりますが、生前譲位の可否の問題を検討する前に、そもそも天皇制は、存続させるだけの意味と価値があるのか、否か、といった問題も含めまして、以下の2つの論点につきまして、国民の間にひろく議論を喚起し、コンセンサスを形成しておく必要があるように思います。
 
①そもそも、日本国にとりまして、‘天皇’の存在意義は何であるのか。
②古代の‘天皇’と、現在の‘天皇’とは別物と考えるべきであるのか、否か。
 
①の‘天皇’の存在意義の問題につきましては、どのような理由で、日本人は‘天皇’という存在を創設し、1千数百年以上にわたり維持してきたのか、という問題でもあります。この点につきましては、結論から述べますと、第一義的に、外国、すなわち、中国や朝鮮から日本国を守るためであった、と言うことができます。日本国の守護神である天照大神の子孫であるがゆえに、‘天皇’には、神的な力があり、この霊力によって日本国が守られる、と日本人は信じ、‘天皇’を尊敬してきたのです。
 
日本国は、島国ですので、常に安全が保障されていたと考えられがちですが、それがそうではありませんでした。むしろ、五穀豊穣の土地柄であり、気候温暖、風光明媚な国であったがゆえに、周辺諸国から狙われ続けられた国であり、安全保障問題は、為政者、そして、国民にとりまして、重要な懸案事項であったのです。したがいまして、‘天皇’の役割も大きかった、と言うことができます。
 
例えば、9世紀に、新羅の日本への侵攻が懸念されていた時期に、朝廷では、唐由来の「太元帥法」という国主が行えば効果があるとされた敵国調伏の秘法を、‘天皇’は受容するよう求められております。また、元寇の際に、亀山上皇が、寺社仏閣に祈祷を行わせたことから、‘神風’が吹いて、元の船団は壊滅したと信じられてきたことは、その典型例であると言うことができます。
 
天皇’の存在意義といいますと、古来、‘統合の象徴’という面が強調されますが、‘統合の象徴’が必要とされた目的については見落とされがちです。『前漢書』によりますと、弥生時代、日本国は100余国に分かれていたと言います。これらの国々が、やがて統合して、日本国を形成してゆくわけですが、その原動力となったのが、外国からの脅威への対応であった、と言うことができるのです。100ヶ国がまとまったほうが、経済力・軍事力において規模が拡大し、防衛機能をより効果的・効率的に果たすことができるからです。集団的自衛が重要であることは、昔も今も変わりはないのです。その統合の方法において、‘天皇’を立てたわけですので、まずもって、‘天皇’の創設の目的は、日本国を守ることにあった、ということになるのです。
 
したがいまして、①につきましては、‘天皇’が、仮に、中国や朝鮮におもねった場合、その存在意義は失われることになります。昨今の皇室制度では、婚姻の自由によって、配偶者が中国・朝鮮出身者となる道が開かれており、‘天皇’の存在意義が既に失われている可能性、もしくは、失われる可能性があります。
 
天皇’の代替わりをめぐりましては、近世に至るまで、しばしば‘譲位の強要’が行われてきた歴史があります。仮に、生前譲位を先例として認めるか、もしくは、制度化してしまいますと、次期天皇に‘傀儡天皇’を立てようとする外国勢力による譲位の強要問題も生じてしまうことでしょう(今般の譲位問題の背景にも、外国勢力が疑われれている…)。仮に、中国・朝鮮の傀儡‘天皇’が出現してしまった場合、本末転倒となりますので、天皇制を維持させること自体に、意義があるのか、甚だ疑問であることになります。したがいまして、生前譲位の可否の問題を検討する前に、まずもって、①の論点を十分に議論しておく必要があると、言うことができるのです。
 
②につきましては、次回、扱います。

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(続く)