‘天皇’の存在意義は日本国を護ることにある
今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。先日、天皇の生前退位問題をめぐりまして、可否の議論に入る前に、以下の2点につきまして、十分に議論し、国民の間にコンセンサスを形成すべきであると、提起させていただきました。
①そもそも、日本国にとりまして、‘天皇’の存在意義は何であるのか。
昨日は、①について扱いましたので、本日は、②につきまして扱ってまいります。天皇という地位は、『日本書紀』におきましては、紀元前660年に位置付けられております神武天皇の即位にはじまり、以後、系図上において、神武天皇の子孫によって天皇位が継承されていることは、よく知られております。では、なぜ、かくも血統に拘ってきたのでしょうか。
この血統信仰は、まさに、先日述べました①の問題と繋がっております。神武天皇は、日本国の守護神である天照大御神の子孫であるがゆえに、神武天皇の子孫も、日本国を護る霊力が強いはずであるという神武天皇の血統への信頼と期待が、‘天皇家’の人々によって、天皇位が継承されることになった理由である、と言うことができるのです。
自然災害が起きぬように天神地祇に祈るのみならず、天皇と安全保障問題が直結していることを、今日では、奇異に感じる方々もおられるかもしれません。第二次世界大戦後、米国が日本の復興に尽力した姿によって、戦争の勝敗は、さほど大きな影響を与えないのではないかと考えてしまいがちです。しかしながら、現代以前の時代、特に、アジアでは、そうではありませんでした。古来、中国大陸の歴代王朝は、征服地の住民を極めて残酷に扱いました。この点を考えますと、日本人が、安全保障を第一と考えた理由が理解できます。侵略軍によるジェノサイドによる日本民族の滅亡もあり得たのです。天皇と国民との関係は、ギブアンドテークであり、天皇が日本国を護るかわりに、国民は、天皇として、丁重に扱い、尊敬し続けるということになります。
従いまして、神力・霊力の源泉たる天皇の血統問題は重要であるのですが、この点につきまして、現在、多くの点で、問題が生じている、と言うことができます。
ひとつは、血統の断絶があった可能性です。室町時代、戦国時代、幕末など、歴史上のいくつかの時点で、天皇の血統が断絶している可能性は、書籍、インターネットなどで、よく話題になっており、なかには、かなり信憑性の高いものもあります。ある意味でのこうした所謂‘裏の歴史’が、本当である可能性によって、現在、大きな混乱をもたらしているように思えます。すなわち、天皇には、日本国を護る神力・霊力が無いということになり、無いのにも拘わらず、存続させることに意味があるのか、ということになるからです。
もうひとつは、たとえ血統断絶がなかったとしても、遺伝学の発展により、事実上の血統断絶が生じている、もしくは、生じる可能性があることがはっきりしていることです。クローンではない限り、減数分裂によって、天皇のDNAは、代が一代下がる毎に半減してゆきます。むしろ、昔のほうが、血統の薄まりを防ぐために、‘天皇家’の一族内から、配偶者を選ぶといった工夫がなされておりました(例えば、数ある親王でも、皇女の降嫁を受けた親王が、次期天皇候補とされました)。しかしながら、現在、婚姻の自由によって、たとえ系図上は繋がっていても、事実上の血統断絶の可能性が指摘されえるのです。
この点も、将来にわたり、‘天皇’を維持する必要があるのか、という疑問をもたらしている、と言うことができるのです。法律上、天皇の地位にあるからといいましても、天照大神や神武天皇と無関係の人物に対して、果たして、国民は、無条件に崇敬の念を払うことができるのでしょうか。理性に照らしますと、無条件に崇敬の念を払う人々の方が、むしろカルト的な不気味な人々なのではないでしょうか。国民が天皇を守るのではなく、天皇こそその神的な霊力によって国民を守る存在なのです。
天皇の存在意義は、日本国を護ることにありますので、仮に、古代の‘天皇’と現在の‘天皇’とが別物であった場合、もしくは、別物となってしまった場合、‘天皇’という地位をどのように扱うべきであるのか、この点につきましても、生前退位の可否を検討する前に、国民の間で、議論を深め、コンセンサスを形成しておく必要があるように思えるのです。
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(続く)