時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「天皇親政派」の欠点

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。皇道派は、「天皇親政派」とも表現できますが、古代より、このような考えには重大な欠点があると認識されていたことにつきまして、今日は述べてまいります。
 
 記紀神話に描かれる皇祖神・天照大神の姿とは、今日の言葉で言うならば、国民が皆、豊かに暮らせるよう産業を振興し、生活インフラを整えた心優しい理想的な為政者です。国の安全をも疎かにせず、防衛にも心を砕いています。今日の基準からも国家運営に長けていたと言うこことができます。

 その子孫として、厩戸皇子(聖徳太子)天智天皇聖武天皇などは、中国歴代王朝による日本の属国化計画を阻止した事績において、なるほど、天照大神の子孫である、と評価されてしかるべき事績を残されております。院政末期に、後白河法皇の子の二条天皇が抜きん出て有能であったため、朝廷内に二条天皇親政派がつくられましたことは、こうした天照大神の子孫に対する世間一般の期待を示していると言えるでしょう。
 
 しかしながら、このような神様の子孫であるのだから、皇族は、皆、天照大神のような有徳者であって、かつ有能であったのか、と言いますと、そうではありませんでした。『日本書紀』や『古事記』は、皇族に対して美辞麗句で飾ることはせず、天皇自身の悪行が記載されてあったり、皇族に至りましては、皇位を狙って陰惨な事件を起こすといった、かなりの野心家がいたことも正直に記録しています。
 
 天孫降臨することで、神々の世界から降ってこられたとされる天皇の直接の祖である瓊瓊杵尊の父神は、天照大神の首飾りとスサノオノミコトの釼から生じたとされております。このことは、天皇は、国家に対して破壊を行ったスサノオノミコトという暴力的・嫉妬深い性格で、無能な神様をも、その祖としていることを示しております。
 
 したがいまして、その子孫には、悪い性格の人物も現れるのです。この点から、『日本書紀』も『古事記』も、天照大神の子孫たちをすべて聖人君子であったとは、記述していないのです。仮に、スサノオノミコトのような人物が、天皇位に就いた場合に、日本国は危機的状況となる、という古代の人々の認識から、日本国は、天皇は政治に関わらないことをもって伝統としてきたのです。
 
 この点から、昭和初期にあって天皇絶対神格化を目指した「天皇親政派」は、むしろ、『記紀』が敢えて記した警告を無視しており、不適格者が天皇位に就くことによる国家的危機に対して、考えが至っていないということになるのです。昭和初期の超国家主義には、むしろ共産主義との間に共通点が見られ、日本国の伝統との断絶が指摘されるのも、この思想が、何らかの外来の独裁容認思想の影響において誕生したとすれば、説明が付くのではないかと思うのです。

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(続く)