時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

“ユダヤ人”の支配欲の源泉とは?

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ユダヤ教の教義と言いましたら、まず、「モーゼの十戒」を思い起こす人が、多いのではないでしょうか。「モーゼの十戒」は、「汝、殺すなかれ」、「汝、盗むなかれ」、「汝、偽証するなかれ」といった内容でよく知られておりますように、人類が、よき隣人として、平和裏に共存するための基本的倫理、道徳を定めております。では、ユダヤ教徒は、「モーゼの十戒」を守っているのでしょうか。そこで、思い起こされるのが、ヴィクトール・フランケル氏の『Man’s Search For Meaning』という書籍です。『夜と霧』というタイトルで邦訳されておりますが、ユダヤ人である著者自身が、第二次世界大戦時におけるユダヤ強制収容所における収容者の心理を観察した結果をまとめた本です。この本の序で、氏は、氏の父親が、ウィーンのシナゴークが破壊された際に、そこにあった「モーゼの十戒」を刻んだ石版の破片を、大切に持ち帰ったという話を載せていました。
 
仮に、氏の父親のように、ユダヤ教徒が、「モーゼの十戒」を尊重する人々ばかりでありましたならば、世界の多くの人々は、ユダヤ教徒に高い評価を与えたことでしょう。キリスト教と同等に、個々人の基本的諸権利を尊重する人々として…。
 
しかしながら、シェークスピアの『ベニスの商人』において強欲で狡猾な商人として描かれたように、ユダヤ人への評価は、決して芳しいものではありませんでした。むしろ、危険視されていると言うことができるかもしれません。その理由は、やはり、昨日指摘いたしましたように、ゲットーには、正真正銘のユダヤ人の他に、後から移住して形式的にユダヤ教に改宗した、遊牧民族系を含む多種多様な民族の‘ユダヤ人’が多数居住していたことにあると推測することができます。ユダヤ教徒の仮面を被りながら、ユダヤ教の教理とあまりにも乖離した思想の持ち主であるこのような‘ユダヤ人’たちは、ゲットーの外の世界の価値観や道徳、すなわち、キリスト教世界の価値観や道徳を嫌うとともに、また、疎外感をも感じていたのでしょう。世界支配志向勢力の思想の背景には、このようなコンプレックスが強く働いていたと推測することができるのです。

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(続く)