時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ネオ・ユダヤ人の一部は隠れイスラム教徒?

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日、ゲットーとは、キリスト教共同体的性格を有するヨーロッパにおいて、非キリスト教世界の多種多様な民族が、ユダヤ教徒の仮面を被って流入・居住してくる租界であった可能性を指摘いたしました。では、ユダヤ12(13)支族に由来する先祖伝来のユダヤ教徒以外に、いったいどのような人々が、ユダヤ教徒に改宗することで、戒律を守らない‘ネオ・ユダヤ人’となったのでしょうか(以後、ひとまずは、先祖伝来のユダヤ人ではなく、後に改宗してユダヤ人となった人々を「ネオ・ユダヤ人」と称することにします)。
 
まず、時系列的に、真っ先に考えられるのは、‘隠れイスラム教徒’です。7世紀よりイベリア半島(現在スペインとポルトガル)には、後ウマイヤ朝などのイスラム教国が建国され、イスラムの世界となっておりました。レコンキスタによって最後のイスラム教国の首都ゴルドバが陥落し、イベリア半島キリスト教国となるのは、西暦1492年となってからです。では、イベリア半島に居住していたイスラム教徒は、一人残さずすべてイベリア半島を後にしたのでしょうか。おそらく、イベリア半島イスラム教徒の中には、不法入国者のように、ヨーロッパ大陸流入する者もあったと考えることができます。
 
こうした人々が、何処の誰であるのかが、はっきりしているキリスト教共同体に、一般市民として居住したとは考えられ得ず、都市部のゲットーに流入し、形ばかりユダヤ教に改宗することで、ゲットーに居住したのではないか、と考えることができるのです。イエズス会創始者であるイグナティス・ロヨラは、イベリア半島バスク地方の出身であり、バスク人は、出自不明の謎の民族とされております。ロヨラをめぐりましては、黒マリア信仰に加え、ユダヤ教徒であったとする説があることは、ロヨラが、実のところ、‘隠れイスラム教徒’であった可能性をも示しております。イベリア半島のみならず、イスラム世界との境に近い東欧、ギリシャユーゴスラヴィア、ロシアなどからも、‘隠れイスラム教徒’が、‘ネオ・ユダヤ人’としてゲットーに居住していた、と推測することができるのです。
 
(続く)