モンゴル系の人々も’ネオ・ユダヤ人’の一員?
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日は、ゲットーの住民、すなわち、‘ネオ・ユダヤ人’となった隠れイスラム教徒について扱いました。イスラム教徒に次いで‘ネオ・ユダヤ人’の一員となったと推測されるのは、モンゴル系の人々です。ロスチャイルド家の元の家名がモンゴル起源を想起させる「カーン」であったように、モンゴル系の人々も、「世界ゲットー連盟」とも称すべき国際組織、すなわち、世界支配志向勢力の思想的背景を説明するかもしれません。
13世紀に、モンゴル人のチンギス・ハンによって建国された世界帝国は、中国大陸の元のみならず、ロシアにはキプチャク・ハン国、インドにはムガール帝国が建設されるなど、チンギス・ハン亡き後も長期にわたって拡大を続けました。このことは、ヨーロッパ・キリスト教世界が、モンゴルの脅威にも直面していたことを示しており、熾烈な戦いが繰り広げられました。
その一方で、遊牧民であったモンゴル人もまた、イスラム教徒や華人の登用などにより、商業活動に関心を払うようになります。元では、自らが滅ぼした金王朝に倣って政府紙幣を発行し、この制度は、イルハン国など他のモンゴル系国家でも導入されています。仮に、これらのモンゴル系商人がヨーロッパに商業拠点を設けようとすれば、イスラム教徒と同様に、キリスト教共同体に、一般市民として居住することはできなかったはずです。特に、モンゴル勢力とその境を接している地域では、異教徒のみならず、”敵国人”と見なされたことでしょう。こうした点を考慮すれば、モンゴル系の人々が、ヨーロッパの諸都市のゲットーに流入した可能性はあながち否定はできません。
特に、ロシア国内に居住していたモンゴル系の人々と’ネオ・ユダヤ人’との繋がりには注目すべきかもしれません。ロシア革命を引き起こしたレーニンは、ロスチャイルド家による支援を受けていたとする指摘がありますが、実は純粋なロシア人でもユダヤ人でもなく、チュバシ人、並びに、カルムイック人というモンゴル系の民族の出自であったのです。
仮に、ロスチャイルドがこうしたモンゴル系の人々を起源とする‘ネオ・ユダヤ人’であったと考えますと、ヨーロッパのゲットーとロシア国内のネオ・ユダヤ人コミュニティーとの間には、国際ネットワークが形成されていたのかもしれません。モンゴル帝国は滅んでも、「世界ゲットー連盟」は、征服志向の帝国的な体質を引き継ぎながら秘かに生き続けていたと言うことができるかもしれないのです。
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(続く)