時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

なぜペリーの開国要求が倒幕運動に繋がったのか

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。フリーメイソンであったペリーの開国要求に、世界支配志向勢力の意向が秘かに盛り込まれてしまっていた可能性は、1854年の日米和親条約Convention of Peace and Amity between the United States of Americaand the Empire of Japanが、その以下の内容からは、まったく日本国内に内戦を齎すような内容とはなっていなかったにもかかわらず、その後の歴史が倒幕運動、戊辰戦争、そして明治維新へと進んでいった、すなわち、太平天国の乱のような内戦へと向かった経緯に窺うことができます。
 
1条日米両国・両国民の間には、人・場所の例外なく、今後永久に和親が結ばれる。
2条下田(即時)と箱館1年後)を開港する(条約港の設定)。この2港において薪水、食料、石炭、その他の必要な物資の供給を受けることができる。
物品の値段は日本役人がきめ、その支払いは金貨または銀貨で行う。
3条米国船舶が座礁または難破した場合、乗組員は下田または箱館に移送され、身柄の受け取りの米国人に引き渡される。
避難者の所有する物品はすべて返還され、救助と扶養の際に生じた出費の弁済の必要は無い(日本船が米国で遭難した場合も同じ)。
4条米国人遭難者およびその他の市民は、他の国においてと同様に自由であり、日本においても監禁されることはないが、公正な法律には従う必要がある。
5条下田および箱館に一時的に居留する米国人は、長崎におけるオランダ人および中国人とは異なり、その行動を制限されることはない。行動可能な範囲は、下田においては7里以内、箱館は別途定める。
6条他に必要な物品や取り決めに関しては、両当事国間で慎重に審議する。
7条両港において、金貨・銀貨での購買、および物品同士の交換を行うことができる。
交換できなかった物品はすべて持ち帰ることができる。
8条物品の調達は日本の役人が斡旋する。
9条米国に片務的最恵国待遇を与える。
10条遭難・悪天候を除き、下田および箱館以外の港への来航を禁じる。
11条両国政府のいずれかが必要とみなす場合には、本条約調印の日より18ヶ月以降経過した後に、米国政府は下田に領事を置くことができる。
12条両国はこの条約を遵守する義務がある。
両国は18ヶ月以内に条約を批准する。
 
このような内容は、おもに貿易や海難救助に関する内容であり、表面上は、とりたてて倒幕運動へと繋がるような内容ではありません(ただし、第9条は最恵国待遇を片務としていることにおいて、日本側の不満があった)。
 
では、なぜ、開国が内戦と直結することになったのでしょうか。それは、当条約ならびに、その後日本が英国、フランスなどと相次いで結んだ和親条約によって、各国政府から日本に派遣されてきた外交官の中にフリーメイソンが多数含まれていたからであると考えることができます。すなわち、フリーメイソンたちは、日本国内において比較的自由に活動を行うことができるようになり、1)王室を断絶させるか、偽者にすり替え、操り人形、傀儡の人物に権力を集中させる(独裁化)、2)王族の中で最も御し易い人物を選定して教育を施し、宮廷クーデタを起こさせて王位に就かせる、3)現地国民の中から自らの手先となる人物を一人、または、数人を選定し、有力者に育てた上で王朝交代、あるいは、新政権を樹立させる、4)宗教等を利用して、現地国民の中の特に最下層民や不満層を組織し、国家破壊活動に従事させ、内乱、あるいは、革命を起こさせる(武装に際しては、武器を提供)、5)既存の民族国家には別の民族を送り込み、権力を与えて新たな支配階層とし、間接支配する、6)内乱、あるいは、戦争を誘発し、両者を巧みに操りながら双方から利益を得たり、混乱に乗じて支配的権力を握る、という世界戦略を実行に移すための組織つくりを日本国内において行ったからである、と推測することができるのです。

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(続く)