時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「カルマニョール」は移民集団か-”ええじゃないか”との共通性

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。「カルマニョール」とイルミナティーとの関連は、「カルマニョール」の構成員の多くが、イベリア半島出身のセファルディー(もとはアジア・インド・アフリカ大陸の‘黒いユダヤ人’)、ならびに東インド会社イエズス会、もしくはドミニコ会によってフランスに送り込まれてきていたアジア・インド・アフリカ系の移民であった可能性を示しています。
 
ディケンズの『二都物語A Tale of Two Cities』は、「カルマニョール」の構成員たちは、サン・タントアーヌというパリの最貧地区の居住者達であったと設定しております。その中心人物とも言えるジャック・ドファルジュの容姿について、「黒い縮れ毛の髪」であり、「体じゅうが浅黒い肌」であったと描写し、その妻のマダム・ドファルジュについても「濃い黒い眉毛」であったとしています。これらの容姿の特徴から、ディケンズは、「カルマニョール」のリーダー格の人物は、セファルディー、もしくは、アジア・インド・アフリカ系の移民であったことを示唆していると考えることができるのです。
 
この点は、サン・タントアーヌという地名が、聖アントニウスSaint-Antoineに由来していることによっても補われます。Wikipediaによりますと、聖アントニオス(ギリシア: Αντώνιος, ラテン語:Antonius251年頃 - 356年)は、3世紀のエジプト出身のキリスト教聖人であり、特に、動物の守護聖人とされ、117日には「アントニオ祭」としてペットや家畜の祝福が行われるそうです。
 
当時のエジプトがイスラム圏であったことを踏まえますと、サン・タントアーヌの住民たちは、未開地域やイスラム圏などから連れてこられた野性的で動物的なメンタリティーの持ち主達であり、イルミナティーは、この点に注目して、組織化し、キリスト教文明圏の人々には、良心の呵責から到底できないような残忍で残酷な殺戮、掠奪を行なわせたのではないか、と推測することができるのです。しかも、カルマニュールは、踊りながら街を練り歩くといった奇妙な行動をとるのです。
 
幕末、我が国でも、突然、どこからともなくやって来て、「ええじゃないか」と囃しながら伊勢神宮のお札を撒きながら、踊り歩く奇妙な集団が現れます。どこの誰が組織し、そして、そのメンバーにつきましてもまったく不明であるこの謎の集団も、あるいは、「カルマニョール」と同様に、イルミナティーによって日本国内において密かに組織されたか、あるいは、いずこからか連れて来られ、訓練された移民集団であったのかもしれません。

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(続く)