時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「河豚計画」から見えてくる北朝鮮の核保有問題

  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。Wikipedia(日本語版)によりますと、満州地域にユダヤ人を移住させることを構想していた犬塚惟重氏などの親ユダヤ派の人々は、陸軍大佐板垣征四郎及び陸軍中佐石原莞爾率いる「大陸派」と協力したそうです。この協力関係の成立について、Wikipedia(日本語版)が、「これが、計画者の胸中に河豚計画の最初の種が蒔かれた瞬間であるとみられる。1931年、満州事変の直前のことであった」と表現しておりますように、河豚計画における関東軍の影響を指摘することができるでしょう。そこで、関東軍参謀として、満州事変を成功させたとされる石原莞爾が注目されてまいります。
 
石原莞爾は明治22年(1889年)に山形県西田川郡鶴岡(現・鶴岡市)で生誕しております。鶴岡市には、「鶴岡の聖母」という黒マリア像があります。この像は、仏ノルマンディ地方のカルヴァドス県、ドゥーヴル==デリヴランドの教会より寄贈されたものなそうです。カルヴァドス県の首府がカーンという名であることに加え、「黒マリア」はイエズス会の秘かなる本尊である点から、憶測の域は出ませんが、石原とイルミナティーとの関連が推測されてきます。
 
Wikipedia(日本語版)によりますと、石原は、『世界最終戦論』(後に『最終戦争論』と改題)を唱えており、東亜連盟(日本、満州、中国の政治の独立(朝鮮は自治政府)、経済の一体化、国防の共同化の実現を目指したもの)構想を提案し、戦後の右翼思想にも影響を与える一方で、熱心な日蓮主義者でもあり、最終戦論では戦争を正法流布の戦争と捉えていたそうです。石原の最終戦争論とは、「戦争自身が進化(戦争形態や武器等)してやがて絶滅する(絶対平和が到来する)という説である。その前提条件としていたのは、核兵器クラスの「一発で都市を壊滅させられる」武器と地球を無着陸で何回も周れるような兵器の存在を想定していた(1910年ごろの着想)。比喩として挙げられているのは織田信長で、鉄砲の存在が、日本を統一に導いたとしている」というものです。織田信長による天下統一、すなわち、軍事独裁体制の成立に譬えている点を踏まえますと、この主張は、‘極めて強力な破壊力を持つ核兵器レベルの兵器の保有によって、すべての国々を支配できる’ということを意味してもおります。「何々しなければ、撃つぞ」という暴力主義にもとづく脅しによる支配ということになるでしょう。
 
それでは、石原が、その強力な武器の保有によって支配する対象を何であると考えていたのかと言いますと、石原は「大正9718日の夫人への手紙」で、白人を「悪鬼」と述べ、また「この地球上から撲滅しなければなりません」と憎悪を著わしていたそうです。さらに「大正12828日の夫人への手紙」では、ドイツで活動写真を見て「亜米利加物にて、排日宣伝のフィルム大いに癪に障り、大声にて亜米利加の悪口を話せば近所に居りし若干の独人大いに同意を表す」「何時かは一度たたいてやらざれば彼を救う能はざるなり」と述べてもいたそうです。すなわち、石原は、白人と米国を支配、または滅亡させるために、最強の武器の開発・保有を構想していたのかもしれません。
 

そして石原の主張は、統一教会創価学会オウム真理教の主張にも近いものがあります。このことは、石原がイルミナティーと接触していた、あるいは、そのメンバーであり、石原の「最終戦争論」は、イルミナティーの主張でもある可能性を示唆していると言えるでしょう。このように考えますと、北朝鮮による核保有も、この文脈において認識すべきであり、イルミナティーは、戦後、北朝鮮を傀儡とし、世界支配するための脅しの道具として北朝鮮に核を保有させようとしているのかもしれません(イルミナティーの暴力主義は、懐に右手を入れているポーズが、武器による脅しを意味していることによって象徴されている)。


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 (続く)