時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

石原莞爾はイルミナティーであったのか

  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。石原莞爾の『世界最終戦論』(後に『最終戦争論』と改題)は、‘暴力による脅し主義’など、イルミナティーの思考パターンや戦術を推測する上で、参考になります(Wikipedia(日本語版)によりますと、「幼年期は乱暴な性格であった。まだ小学生でなかった石原を姉が子守のため学校に連れて行った時には、教室で大暴れして戸を叩きながら「破るぞ、破るぞ」と怒鳴り散らした」とあることにも、石原の‘暴力による脅し主義’を好む性格が窺えます)。
 
この他にも石原をめぐる状況には、石原とイルミナティーとの関連を窺わせるものがあります。まず、石原の墓所の所在地が山形県の「菅里」という地名であることです。「カン」とも読むことができるため、イルミナティーが「菅」の字を持つ人物や場所を好んでいることを踏まえますと、石原の墓所の地名は、石原イルミナティー説を補っているかもしれません。
 
そして、石原がA級戦犯を免れた理由が、‘人違い’によるものであったことも注目されます。この点について、Wikipedia(日本語版)は、以下のように記述しております。
 
極東国際軍事裁判においては戦犯の指名から外れた。東条英機との対立が有利に働いたとの見方もあるが、実際には開廷前の検事団によるA級被告選定の席で、戦犯指定された石原広一郎を石原莞爾と勘違いしたことが原因だった。事態に気づいた検事が慌てて入院中の石原莞爾に面接するが、「重態」のため調書が作れず、最終的に被告リストから外された」
 
すなわち、石原莞爾は、何故か、石原広一郎という別人と間違えられ、石原広一郎がA級戦犯リストに入ってしまうことになるのです(広一郎は、莞爾と勘違いされていたことがわかり、戦後、A級戦犯容疑で巣鴨に拘禁されたものの、不起訴となり釈放されたようです)。
 
ロンドンの「切り裂きジャック」事件や「アメリカン・リッパ-」事件の犯人のH.H.ホームズ、そして『二都物語』の主人公であるチャールズ・ダウニーなど、別人を仕立てて死刑を免れるという方法は、イルミナティーのよく使う戦術のようです。石原莞爾につきましても、検事団のメンバーに影響力のあった何らかの国際勢力(イルミナティーか?)による介入があり、「人違い」作戦によって、A級戦犯を免れていた可能性を指摘できるでしょう。
 

「河豚計画」や満州事変に深く関与した石原と「黒いユダヤ人」の国際組織であるイルミナティーのとの関連は、‘第二次世界大戦とは何であったのか’といった問題を含め、激動の日本近現代史に、再検証を加えねばならないことを示唆しているのです。


 

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(続く)