時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

西郷隆盛とイエズス会との接点はコーチンにあった?

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。西郷隆盛の訪台が、西郷が台湾島においてイエズス会(実質的にイルミナティー)と接触し、そのエージェントなっていた可能性を示唆していることは、以下の点によっても補うことができます。
 
台湾島は、16世紀に、ポルトガルによってイラ・フォルモサIlha Formosaと名付けられたように、ポルトガルとの関連の深い島です(Wikipedia(日本語版)によると「ヨーロッパ船として初めて台湾に到達した船はポルトガルの船であり、ポルトガル人船員が緑に覆われた台湾島に感動して「Ilha Formosa(麗しの島)」と叫んだという伝承から、台湾の別称である「Formosaフォルモサ、中国語では美麗島)」が誕生したとされている」)。
 
大航海時代におけるポルトガルによるアジア地域への進出は、カトリックイエズス会の東アジアへの布教活動と一体となっていたことは、本ブログにて再三にわたり指摘している通りです。Wikipedia(英語版)によりますと、台湾島の教区は、インドのコーチンKochiの代理司教the Apostolic Vicariate of Cochinの管轄区として1680年に成立した福建司教区Apostolic Vicariate of Fujianに属しておりました。徳永恂・小岸昭著『インド・ユダヤ人の光と闇』(新曜社・2005年)によりますと、インドの諸都市のなかでも、特に、ケララ州のコーチンは、1)コーチン地方では「白いユダヤ人」が「ヴェルタ・コーチャVelutha Cocha」、「黒いユダヤ人」が「カルタ・コーチャKaruthaCocha」と称されていることに示されるように、ユダヤ人によって建設された都市と言っても過言ではないこと(頁188)、2)「コーチン」という地名は、ユダヤ固有の名前である「コーヘンCohen」に由来しているという説があること(頁190)、そして、3)現在でも「ユダヤ人街」があるように、「白いユダヤ人」や「黒いユダヤ人」が多数居住する地域であること、4)コーチンの「黒いユダヤ人」は、同じく「黒いユダヤ人」の組織であるイエズス会と近い関係にあったはずであることから、主に貿易に従事していたイエズス会系の「黒いユダヤ人」たちが、福建省台湾島イエズス会のネットワークを築いていた可能性は高いと言うことができます。
 
昨年の7月4日付本ブログで述べましたように、コーチンの属するケララ州は、冷戦終焉後の1998年に至っても「赤旗はつねに見かけられるし、「共産党レストラン」の前には大きなマルクスの「頭部」の石像が置かれているほど(頁10・11)」、マルクスやその思想が崇拝されている地方です。イルミナティー(イエズス会を含む「黒いユダヤ人」の国際組織)と共産主義思想との密接な関係を踏まえますと、西郷は、台湾島で、イエズス会を通して、イルミナティーのネットワークに参加し、そのエージェンシーとなって薩摩に帰国したと推測することができるのです。
 
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(続く)