時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

マタ・ハリはイルミナティーのスパイか

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。一昨日、NHKの『悪女伝説』というTVプログラムで、オーストリア后妃のエリザベートElisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach18371224 - 1898910日)と第一次大戦期に女スパイとして暗躍したとして知られるマタ・ハリという二人の女性について扱っておりました。両者は、世界展開しはじめた「黒いユダヤ人」の問題、すなわち、イルミナティーの問題と関連しているようです(エリザベートの出身地であるバイエルンは、まさに、バイスハウプトJohann Adam Weishauptが1776年にイルミナティーを結成した地)。視聴された方々が、番組の内容を忘れてしまう前に、本日は、まずは、マタ・ハリについて扱います。
 

マタ・ハリMata Hari187687 - 19171015日)、本名マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレMargarethaGeertruida Zelleは、オランダのレーワルデン市出身の踊り子であり、パリで一世を風靡するものの、実は独仏二重スパイであったとされ、第一次世界大戦後、フランス側によって銃殺刑に処さられた女性です。

 
マルガレータは、インドネシアのジャワ島からやって来た踊り巫女ないし王女という触れ込みでダンサーとなり、芸名の「マタ・ハリ」は「太陽」あるいは「日の眼」を意味するそうです。オランダ出身の女性が、東洋の女性として通用した理由は、その容貌が、事実、アジア的であったからなのではないか、と推測することができます。
 
その理由は、まずもって、彼女の出身地のレーワルデンLeeuwardenが、16世紀から18世紀にかけて、特に金銀細工の中心地であったことから推し量ることができます。金銀細工師には、‘ユダヤ人’が多かったことはよく知られており、ツェレ家も、まずもって‘ユダヤ系’であったと推測することができます。さらに、15世紀にイベリア半島で「ユダヤ人追放運動」が起こると、セファルディ系ユダヤthe Sephardic Jews、すなわち、「黒いユダヤ人」たちは、おもにオランダに移住した歴史を踏まえますと、ツェレ家が「黒いユダヤ人」であった可能性はかなり高いと言えます。
 
本ブログで再三にわたり指摘いたしておりますように、イベリア半島の「黒いユダヤ人」は、イベリア半島イスラム世界に属していた時期(7世紀から15世紀)に、アジアやアフリカからイベリア半島に移住してきていた人々であり、元を辿りますと、アジア・アフリカをその出身地としております。このことから、オランダ人と言いましても、その容貌は、アフリカ的であったり、アジア的であったと考えることができます。その容貌が、やはりアジア・インド的であるカール・マルクスの母のヘンリエッテ(Henriette)(旧姓プレスボルク(Presburg)もオランダ出身であることも、このことを裏付けます。
 

従いまして、「黒いユダヤ人」であったマルガレータは、アジア的な容姿であり、インドネシアのジャワ島からやって来た踊り巫女ないし王女という触れ込みは、多くの人々に信じられるところとなったと推測することができるのです。このように考えますと、独仏の二重スパイとされたマタ・ハリは、独仏の二重スパイではなく、イルミナティーの一重スパイであったのではないか、と推測することができます。「マタ・ハリ」の意味する「日の眼」は、ルシファーの目を意味していたのではないでしょうか。


 

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(続く)