時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

エリザベートの背後にもイルミナティー

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。オーストリア后妃エリザベートの背後にも、‘悪女’の一言では片づけることのできない国家安全保障の重大問題、すなわち、イルミナティーという「黒いユダヤ人」の国際組織と国家との対立という構図が潜んでいることは、まずもって、エリザベートが、ドイツのバイエルン出身である点から推し量ることができます。
 
イルミナティーの結成当初の名称が、「バイエルン啓明結社(バヴァリア啓明結社)」であったことに示されますように、エリザベート1837– 1898年)の出身地であるバイエルンは、まさに1776年5月1日に、イエズス会士のヴァイスハウプトによって、イルミナティーが結成された地です。従いまして、バイエルンであることには意味があると考えることができる。すなわち、バイエルンは、イエズス会ロスチャイルド家の影響力の強い地域であったと推測することができるのです。
 
そこで、結成地が、インゴルシュタットIngolstadtという地名であることが注目されます。「Ingolstadt」という地名は、西暦806年2月6日付のシャルルマーニュの文書が初見であり、「インゴールドの地the place of Ingold」という意味であったそうです。そこで、「インゴールドIngold」の意味を推測してみますと、「金塊」という意味ではないか、と考えられます。金細工師には、‘ユダヤ人’が多かったことを踏まえますと、インゴルシュタットは、遅くとも9世紀には成立していた‘ユダヤ人’の居留地であったのではないでしょうか。シャルルマーニュの時代は、イスラム勢力がピレネー山脈を越えて、中央ヨーロッパに進出してきていた時代ですので、インゴルシュタットIngolstadtの‘ユダヤ人’には、「黒いユダヤ人」も多かったかもしれません。
 
すなわち、エリザベートの出身地は、もとより「黒いユダヤ人」の影響が特に強い地域であり、このことは、エリザベートの背景にイルミナティーがあった可能性を示唆していると言えるでしょう(ただし、バイエルンの一般の人々が、親イルミナティーであるのかと言えば、そうではなく、イルミナティーの影響が強い地域であるがゆえに、むしろイルミナティーの邪悪さを多くの人々が認識するようになっていたようです。「現在進行中の悪魔の謀略the continuing Luciferian Conspiracy」の存在を証明する証拠を入手したバイエルン政府は、1784年に、「神に関する法律An Act of God

」を制定して、反イルミナティー運動を始めております。さらに、昨今、メルケル政権を退陣に追い込む勢いのバイエルンにおける移民反対運動は、反イルミナティー運動の一環であると考えることができます)。


 

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(続く)