時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

英国はビッグブラザーのビックリハウス国家か

 本日も、古代史・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。英国は、「君臨すれども統治せず」という伝統にもとづく国家とされており、英国国教会の長でもある英国王は、政治に関与しないことが伝統とされてきました。日本国の天皇も同様であり、正史『日本書紀』におきまして、天皇の定義は、神道における神祇祭祀を司る「あまつひつぎしろしめす」司祭長でありました。
 
しかしながら、この定義は、「イルミナティー革命」の進行に伴い、昨今、とみに英国におきまして崩れてきているようです。英国保守党と言いましたならば、一昔前までは英国の貴族・中産階級層を代表するような党でしたが、Wikipedia(英語版)によりますと、2018年より内務大臣の任にあるサジジュ・ジャビドSajid Javid氏は、パキスタン移民出身であり、バスの運転手であったその父親は、ブリストルの悪名高い犯罪多発地域で婦人服ショップを開いていた人物であるそうです(現ロンドン市長のサディク・カーン氏の父親もパキスタン移民で、バスの運転手)。内務大臣の任命者は、エリザベスⅡ世であり、その任期も女王の意のままなそうです。
 
ジャビド氏の起用問題から、英王室の政治への関与、ならびに、「パキスタン出身の貧しい移民→内務大臣」によって齎される“貧しい移民による英国支配”という構図から、階級循環的思想も見えてくるでしょう。
 
そこで、パキスタン出身と階級循環と言いましたならば、階級循環論のラビ・バトラRavi Batra氏が想起されてまいります。「Ravi」はユダヤ教の司祭を意味することから、「RaviBatra」は「司祭バトラ」の意味いたしますので、バトラ氏が「黒いユダヤ人」である可能性は極めて高いと言うことができます。はたして、「黒いユダヤ人」とエリザベスⅡ世との間にも接点があることは、以下のエリザベスⅠ世(在位:1588~1603年)と「黒いユダヤ人」の国際組織との関連から窺うことができるかもしれません。エリザベスⅡ世は、エリザベスⅠ世に因んで名づけられているからです。
 
  1. エリザベスⅠ世の母親であるアン・ブーリンのブーリン家は出自が不明である。
  2. ブーリン家はロンドン商人であり、ロンドン市長であった。
  3. アン・ブーリンの容姿について記した当時の証言記録から、アン・ブーリンの肌の色はダークであった。
  4. アンの父のトーマスは、ロンドンのカトリック教会の下級聖職者であり、「黒いユダヤ人」であったと考えられるマスター・ロバートと同様に、複数の言語に堪能である外交官(通訳)であった(本ブログにて、再三にわたって扱っておりますように、マスター・ロバートとは、モンゴル帝国の外交官となり、モンゴル帝国によるヨーロッパ侵略に協力したため、戦犯として処刑された英国籍の人物)。
 
ロンドン市長であったブーリンの孫娘のアン・ブーリンが、ヘンリーⅧの宮廷に仕えることになり、ヘンリーⅧとアンとの結婚によって、エリザベスⅠ世が出生しているのですから、エリザベスⅠ世は、「黒いユダヤ人」と近い関係にあったと推測することができるのです。
 
エリザベスⅠ世の時代は、大航海時代の波に乗り、英国が海外進出を遂げた時代ですが、その背後には、その寄生先をポルトガルやスペインから、英国へ乗り換えた「黒いユダヤ人」の国際組織の存在を窺うことができるかもしれません。エリザベスⅠ世の時代が、世界へ向けて英国が躍進した時代でありつつも、英王室が、血統的に「黒いユダヤ人」との繋がりを持ってしまったという問題も抱える時代であったのです(エリザベスⅠ世が独身であったことの理由として、実は、結婚を禁じられていたからであるという説もあります)。
 
 こうした英国史における問題から、以後、中世・近世英国史において「エリザベス」の名を持つ女王は現れませんが、およそ300年ぶりに「エリザベス」の名を持つエリザベスⅡ世が即位したのです。このことは、再び、英王室と「黒いユダヤ人」との結びつきが、英国の政治・外交に影響を与えるようになったことを示唆しているのではないでしょうか。
 
 かくて、英国は、「黒いユダヤ人」の国際組織であるイルミナティーの思想によって、“あべこべ”となり、あたかも上下が逆転しているビックリ・ハウス国家となってしまっているのかもしれません。

 
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
 
 
(続く)