明治維新の要人のほぼすべてが写るフルベッキ集合写真をめぐる仮説
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。「明治」という元号は、「明」が光という意味においてイルミナティーに由来していることに加えて、中国の明王朝をも想起させます。「明治」は、あたかも、明王朝による日本支配といった意味合いを持っていることになるのです。
明王朝を開いたのは、夜盗・盗賊団の類であったとされる朱元璋なのですが、「朱」という苗字は、中国大陸ではユダヤ系中国人が用いていた家名であるそうです。ユダヤ系中国人とは、ユダヤ教に改宗した中国人、もしくは、インド亜大陸などから中国に貿易商として来ていたバビロニア系の黒いユダヤ人との混血児と考えられますので、朱元璋はこうした「黒いユダヤ人」であり、明王朝による支配は、黒いユダヤ人による中国支配であったことにもなります。
東南アジア地域の日本人街の「黒いユダヤ人」系の人々に加えて、こうした中国大陸や台湾にあった「黒いユダヤ人」系の中国人は、イルミナティーが日本を攻略するに際して、すなわち、明治維新を起こすに際して都合がよかったのではないか、と考えることができます。こうした地域から、日本人に成り済ますことのできる人々を集めて教育し、日本に送り込めば、「イルミナティー革命」を起こすことができるからです。
フルベッキの集合写真という有名な写真があります。この写真には、明治天皇(なぜか下級武士の服装)、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、高杉晋作、岩倉具視、坂本竜馬、井上薫などなど、明治維新にかかわるほぼすべての人物が写っております。朝廷、薩摩藩、長州藩、佐賀藩、土佐藩などに属するこれらの人びとが、長崎で一堂に会する機会があったはずはないことから、偽物説もありますが、伊藤博文や大久保利通などの明治時代に撮影された写真との特徴の一致から、本物である可能性が高いそうです。
では、なぜ、このような奇妙な写真が存在しているのか、その理由を推測いたしますと、おそらくは、東南アジアの日本人街、中国大陸、台湾から密入国させた“成り済まし”要員の若者達が、日本に上陸した際に記念として撮影された集合写真なのではないでしょうか。その後、集合写真に写っている人物たちは、薩摩藩、長州藩などに配置されていったということになります。すなわち、これらの人物は、日本各地から集まってきたのではなく、逆に、日本各地へと送り出されたということになるのです。
明治維新を起こした人々が、当時、10代や20代の若者ばかりであるという謎があります。その謎は、洗脳されやすく、また、語学の学習能力の高い若年層が、特に、イルミナティーによって集められたという仮説において説明されえるのではないでしょうか。
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(続く)