時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

国民の義務とは裁判員ではなく遵法では

 裁判員を引き受けることは、違憲の判決を得るまでは、確かに法律上の国民の義務ではあります。しかしながら、司法分野における国民の本質的な義務とは、本来、全ての国民が等しく法律を守ることであって、裁判員になることではないのではないか、と思うのです。

 そもそも、国家が国民に義務を課すには、国民の多くが納得するような、それ相当の根拠が必要です。裁判員制度は、現代の徴兵制と揶揄されることもありますが、兵役とて、国家と国民を守るため、すなわち義務を課せられる側となる国民の生命、身体、財産を守るためでもありますので、それなりの理由があります(もちろん、現在では、専門化された職業軍人が専らとなる分野となりましたが・・・)。納税の義務もまた、歳入が税を納める側の福利厚生に資する諸政策に用いられてこそ、国民に義務化を説明することができます。民主主義の制度とは、この国家と国民との関係が乖離しないための仕組みでもあるのです。

 一方、裁判員制度を見てみますと、裁判そのものは職業裁判官に委ねても構わないわけですから、方法の選択の問題でしかありません。憲法には、国民の義務として法の順守が記載されていませんので、とかくに義務意識が低くなりがちですが、本当は、司法分野においてこそ、国民は相互の安全を守るために不可欠な遵法という義務を負っているのです。ですから、必然性のない任意の義務を課すには、国民の同意こそ得るべきであって、議論もマニフェストへの記載もなく、国会で一方的に裁判員法案を通したことは誤りであったと思うのです。

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