時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

世界遺産の基準は普遍性?

 平泉市が進めてきた世界遺産への登録が認められず、残念な結果との声も聞かれます。落選の理由は、普遍性がないから、ということらしいのですが、そもそも、文化や歴史的な遺跡や遺産に普遍性を求める方が、おかしいのではないか、と思うのです。

 科学や倫理の世界にあっては、普遍性という言葉を用いることにさして抵抗感はないのですが、文化というものの性質を考えますと、むしろ、長い時間をかけてその地で醸成されてきた固有性にこそ、価値があるとも言えます。二つとして同じものがないからこそ、大切に保存し、後世に伝えてゆく価値があり、たとえそれに普遍性が内在していようとも、独自性なくしては価値が成り立たないのが遺跡や遺産というものではないでしょうか。”世界遺産”という名を冠するために、何が何でも普遍性を求めるユネスコの態度には、無理があるように思えてならないのです。

 世界遺産に指定されますと、むしろ、遺跡を取り巻く風景が殺風景となり、観光地化されてしまう現実を見ますと、世界遺産に登録されなかったことは、平泉市にとっては、もっけの幸いであるかもしれません。独自路線をゆくこともまた、文化の魅力を守るための一つの道であると思うのです。

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