時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

無宗教の追悼施設も宗教施設では

 無宗教戦没者追悼施設の建設を求めている人々は、靖国神社への参拝が、政教分離の原則を定めた憲法第20条に違反することを根拠としているようです。しかしながら、戦没者を悼むという行為自体が、御霊の存在を前提としているため、如何なる施設を作ろうとも、広義の宗教と切り離すことはできないはずです。つまり、もし、憲法第20条を厳密に解釈するならば、国家は、戦没者の追悼を、一切、行ってはならない、という結論に至ることになります。

 それでは、国民は、国家は、国家のために亡くなった方々を慰霊しなくてもよい、というこの結論に納得するでしょうか。これでは、亡くなられた方々が、哀れでなりません。このため、如何なる国も、人間の自然な心情から、国家に殉じた人々の慰霊を行うのです。そうして、その行為は、先に述べましたように、否が応でも宗教性を帯びてしまいます。ですから、政教分離を原則としている国でも、儀式として追悼が行われる場合には、それぞれの国民の伝統的な慣習や宗教が反映されることが多いのです。

 この意味において、無宗教も、死者の魂を祀る限り宗教であり、憲法違反の対象になるということができます。しかも、靖国神社は、戦前にあって、国家と国民との約束において御霊を鎮まっていますが、無宗教の追悼施設には、肝心の魂さえありません。無宗教もまた、一見、宗教ではなさそうですが、実は、”無宗教”という名の宗教であることを、よくよく考えなくてはならないと思うのです。

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