時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

A級戦犯と日本の精神文化

 もし、A級戦犯靖国神社への合祀が、日本の精神文化に根ざしたものであったとしたら、中国や韓国には、この文化の放棄を迫る権利はあるのでしょうか。

 日本国の歴史を振り返ってみますと、たとえ、朝廷に弓引いた逆賊であっても、死してはその魂を神社に手厚く祀ったという事例を見ることができます。平将門しかり、崇徳天皇しかり、菅原道真しかり、です。その背景には、怨霊思想というものがあり、死者の魂が現世の人々を祟るのを恐れたこと、それから、現世において罪を負った者でも、生きている人々が丁寧に祀ることによって、やがてその魂が浄化されるという考え方がありました。キリスト教が、現世における許しを強調するのと反対に、日本国では、むしろ、死後の許しを認める精神文化があったと言うことができます。このため、戦国時代の戦場の跡には、今でも、敵味方の区別のない鎮魂碑が立っているのを目にすることができるのです。

 もちろん、日本国政府は、東京裁判の結果を受け入れ、A級戦犯の方々もまた、自らの命を以って宣告された罪を償いました。この意味において、既に、法的な責任を果たしたと言えます。また、サンフランシスコ講和条約にも、日中平和条約にも、日韓基本条約にも、刑に処した人々に対する祀り方に対する制約は、一切、記されていません。法的な側面においては、中国や韓国は、日本国に対して、首相や閣僚の靖国神社の参拝を止めように迫る国際法上の合法的な権利はないと言えましょう。

 もし、A級戦犯の方々が分祀されるとしますと、何か、全ての死者を等しく悼んできた日本の精神文化まで壊しているようにも思われるのです。

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